No.118 必要なことは一つだけです!

バラ園の花

ルカ10:41~42
主は答えられた。「マルタ、マルタ、あなたはいろいろなことを思い煩って、心を乱しています。しかし、必要なことは一つだけです。マリアはその良い方を選びました。それが彼女から取り上げられることはありません。」

マルタは心を乱しています

マルタは「いろいろなこと」を思い煩っていました。

イエス様が来てくださったのです。マルタは精一杯のおもてなしをしたいと考えたのでしょう。

マルタの動機は良いものでした。しかし、その良い動機でマルタの心は落ち着きを失いました。

ルカ10:40
ところが、マルタはいろいろなもてなしのために心が落ち着かず、みもとに来て言った。「主よ。私の姉妹が私だけにもてなしをさせているのを、何ともお思いにならないのですか。私の手伝いをするようにおっしゃってください。」

マルタの言い分はもっともだと思えます。マルタだって話を聞きたかったでしょう。イエス様のそばに座りたいと思っていたかもしれません。

しかし、せっかくイエス様が来てくださったのです。普通の料理ではなく、ご馳走を作って差し上げたいではないですか。そのために忙しく働くのは当然の事でしょう。

マルタは「主のために」頑張っていたのです。そして、「主ともに」いるマリヤに怒りを覚えたのです。

私たちの奉仕は大切です。それは必要なことです。誰かがやらねばならないことでしょう。

しかし、大切なことは「一つだけです」とイエス様は言われました。

覚えてください。

主が望まれるのは「主のために」頑張ることではなく「主とともに」歩むことです。

「主のために」という私たちの思いを、主はご存じです。私たちの労苦を忘れることは決してありません。

しかし、最も大切なことは「主とともに」いることだと言われるのです。

マルタの心は「いろいろなこと」で満ちていました。マルタの心はイエス様への「奉仕」でいっぱいでした。そして、マリヤを見て腹立たしく思ったとき、彼女の心は「マリヤ」でいっぱいになりました。

私たちの心は何で満たされているでしょう。

私たちは自分をイライラさせることで「心を満たして」いるのです。私たちが、誰かを腹立たしく思うとき、その相手が私たちの心に満ちているのです。

大切なことは、いつも「主とともに」あることです。主ご自身に満たされていることです。

1600年代を生きた聖徒ブラザー・ローレンスは、このように言いました。

私は神への愛のゆえに、フライパンの小さなオムレツをうらがえします。それが終わって、何もすることがなければ、私は床に伏して私の神を礼拝し、オムレツを作る恵みを与えてくださったことを感謝し、それから、王よりも幸福な気持ちで立ち上がります。

敬虔な生涯 ふだんの生活の中におられる神 ブラザー・ローレンス著 CLC出版

台所の奉仕は、彼にとって「ひどく嫌な」仕事であったようです。しかし、その「嫌な仕事」を15年間も忠実に行いました。どのような仕事でも、どのような場所でも「神とともにある」ことを学んだからです。

ブラザー・ローレンスにとっては、どのような時も「祈りの時間」でした。どんな仕事をしていても「私の思いが神からそれていくことはなかった」と言っています。

私たちは思います。

マリヤのようになりたいけれど、やらなければならないことが多すぎる、私はマルタだと。

「やらなければならないことが多い」からマルタになるわけではありません。

「やらなければならないこと」があなたの心を「乱して、思い煩わせて」いるならば、あなたはマルタです。

他の人と自分を比べて「イライラ・モヤモヤ」しているなら、あなたはその人に「支配」されています。

それがたとえ「イエス様のための奉仕」であったとしても、その奉仕で「心がいっぱい」ならば、私たちは最も大切なことから離れてしまっているのです。

「必要なことは、一つだけです」

私たちは「主ともにある」ことを選びましょう。

どんな時でも、何をしていても、その「物」と「事」に支配されてはなりません。あなたの心を誰にも支配させてはなりません。

常に「主ともにある」ことを求めましょう。私を満たすのは「聖霊」だけです。

私は主とともに歩みます。
聖霊様だけが私を満たしてください。
私は何にも支配されません。