エレミヤ33:3
わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたが知らない理解を超えた大いなることを、あなたに告げよう。
エレミヤが監視の庭に閉じ込められていた時のことです
エレミヤは閉じ込められていました。
自分で自由にどこにでも行けるような状態ではありませんでした。彼の世界は強制的に狭められています。
しかし、そのようなエレミヤに、主は言われます。
「理解を超えた」とは「囲いの中に閉じ込められた」とも訳せます。
口語訳では「あなたの知らない大きな隠されていること」と訳されています。
「要塞に囲まれたこと」とか「近づきがたいこと」などの意味もあるようです。
「監視の庭に閉じ込められ」ていたエレミヤに、主は「囲いの中に閉じ込められた大いなることを告げよう」と言われるのです。主は、とてもユーモアがおありです。
主は「囲いの中に大いなること」を秘めておられます。主は「隠された大いなること」を持っておられるのです。
あなたは、自分の毎日を「単調なことの繰り返し」と感じているでしょうか。
代わり映えしない毎日、変化のない日々だと思っているでしょうか。
エレミヤのように閉じ込められてはいないけれど、どことなく閉塞感を感じる、そのように思っているでしょうか。
そうであるならば、主がエレミヤに言われたことを心に留めるべきです。
「わたしを呼べ」と主は言われます。
そうすれば、主は答えてくださいます。そして「隠された大いなること」「及び難い大いなること」を告げてくださいます。
主は、ご自身に呼びかける者に「耳を傾けて」くださいます。
主は、あなたに「呼ばわって欲しい」と望まれるのです。
心を尽くして求める者は「主を見つける」のです。
行き詰まりを感じるならば「主を呼ぶ」のです。
日々、閉塞感を感じているのなら「主を呼ぶ」のです。
エレミヤは、閉じ込められていた監視の庭で「主を呼んだ」と私は思います。
主はエレミヤに「理解を超えた大いなること」を示してくださいました。
彼は「閉じ込められていた監視の庭」で、ユダとエルサレムの回復について聞きます。
主は、ご自身の「大いなるみこころ」をエレミヤに明かしてくださいました。
ユダとエルサレムについての「大いなること」が解き放たれたのです。
主から聞いたみことばをエレミヤが「預言」し、それは解き放たれました。
私たちのいる場所は「狭い」かもしれません。
あなたは「閉じ込められている」と感じているかもしれません。
しかし、今、その場で「主のみことば」を解き放つことができるのです。
主を呼びましょう。
主が「隠されている大いなること」を告げてくださいますように。
その「大いなること」を解き放ってくださいますように。
あなたが「呼ぶ」なら「大いなること」が告げられます。
そうすれば、あなたの毎日は変わります。
もはや閉塞感はなくなるでしょう。
日々、主を呼びましょう。
日々、大いなることを聞きましょう。
そして、聞いたみことばを、あなたが宣言し解き放つのです。
主よ、あなたを呼び求めます
主よ、隠された大いなることを聞かせてください
主のみことばは必ず成ることを宣言します