詩篇37:5
あなたの道を主にゆだねよ。
主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。
奇跡を起こすことが「普通」なのです
ダビデは言います。
「主が成し遂げてくださる」とは、「主が実行してくださる」「実行しておられる」とも訳すことができます。
主は「実行してくださる」のです。
そして「実行される前」に、私たちに「二つのこと」を求められます。
「道を委ねること」と「主に信頼すること」です。
「道」とは、手段、方法をも含みます。私たちは「やり方」「考え方」を委ねなければなりません。
「委ねる」とは「ころがす」とも訳せます。「方法」「手段」「こだわり」を「ころがす」のです。それらを握りしめていてはなりません。
私たちは、時々「委ねます」と言いながら「こうあるべき」という考え方を捨てきることができません。
ベテスダの池で38年間、臥せっていた人のように「池」だけを見つめてしまうのです。「池」に入るだけが「癒される唯一の手段」だと思い込んでしまうのです。
誤解を恐れずに言えば、主は「常識的」な方でもないし「論理的」な方でもありません。
神の「常識」「論理」は、私たちとは違うのです。
「ゆだねる」とは「状態」です。そして、その「状態」を保つことが「信頼」につながります。
つまり、私たちは絶えず「常識的」ではない方の「論理的」ではない方法を待ち望む準備をしていなければばりません。
主に「実行して」いただきたいなら「奇跡」に対して心を閉ざしてはなりません。
なぜなら「奇跡」を起こすことは、主にとって「普通のこと」だからです。「風や波に命じて静めること」は、イエス様にとって「普通のこと」でした。
五千人を満腹にさせられたとき、イエス様はピリポに尋ねられました。
この質問をピリポにされたとき、イエス様は楽しんでおられたと私は思います。
今から、ご自身が実行されることにワクワクしておられたのだろうと思います。
主は、奇跡を行われます。私たちの常識を超えられます。
そして、それを楽しむ余裕のある方です。
すべてに優る方を見つめましょう。私たちの神は「頼もしい方」です。
「方法」も「手段」も転がしてしまいましょう。主は、思っても見ない方法で救ってくださるでしょう。
私たちは「ゆだねる」という状態を保ちましょう。
主に信頼して「奇跡」に心を開きましょう。
そうすれば、主が「実行して」くださいます。
主よ、私の方法、考えを御前にころがします
主が実行してくださいますように
私は、奇跡に心を開いています

