マルコ4:40
イエスは彼らに言われた。「どうして怖がるのですか。まだ信仰がないのですか。」
激しい突風が起こりました
舟が水でいっぱいになったのには、さすがの弟子たちも恐れおののいたと思います。
元漁師の弟子たちが大慌てしているのですから、よっぽど危険な状態であったのでしょう。
イエス様は「船尾で枕をして眠っておられた」のです。
驚きますね。激しく揺れる舟の上で、風の怒号と弟子たちの叫ぶ声の中、起こされなければ起きないほど眠っておられたのです。
ダビデが言うように、イエス様も何をも恐れられないのです。それは、文字通り「大嵐」であっても、イエス様を怯えさせ得るものなど何も存在しないのです。
弟子たちのことを「死んでもかまわない」などとイエス様が思うわけがありません。
それは一瞬でした。
ただ一言「黙れ、静まれ」と叱られただけです。
さっきまでの騒がしいすべての音は、まるで夢のように消えてなくなりました。暴風の音も、舟のきしむ音も、弟子たちの泣き叫ぶ声も、何もかもが消え去って、すっかり凪になったのです。
静けさの中、ただ互いに顔を見合わせている弟子たちの姿が目に浮かぶようです。
「どうして怖がるのですか」とは「怖がる必要もないのに」という意味を含んでいます。
「怖がる必要などないのに」とイエス様は言われるのです。
彼らに必要なのは、もっと大きな舟に乗り換えることではありません。「次回は、もっと嵐に耐える頑丈な舟を用意しよう」という反省と備えでもありません。
彼らに必要なのは「信仰」です。彼らは、誰と一緒の舟に乗っているのかを覚えておくべきでした。
私たちが怯えてしまって「主よ、なぜ、助けてくださらないのですか。もうダメです」と叫ぶとき、イエス様は同じように言われるでしょう。
「どうして怖がっているのか」と。
あなたの「舟」は小さいでしょうか。人生を上手く無事に渡りきるには少し心もとなく感じるでしょうか。
他の人の人生を見てうらやましく感じることがあるでしょうか。
それとも、自分の「舟」は立派で、多少のことでは沈まないと思うでしょうか。
いずれにしても、「何に乗るか」は重要ではないことを覚えていてください。
大切なことは「何に乗っているか」ではなく「誰と乗っているか」なのです。
あなたの舟にイエス様を乗せずに湖を渡ってはいけません。どんな豪華客船でも沈むのです。
あの豪華客船タイタニック号の船底には「神はいない」と刻まれていたと言われています。
「まだ、信仰がないのですか」と問われたなら、立ちあがり言いましょう。
「いいえ、主よ。私は信じます。あなたが風と湖を静める方であることを信じます」
私たちは信じていのちを保つものです。
主よ、私は信じます
私は主に身を避けます
主と一緒に向こう岸まで渡ります