No.479 私は「恩知らず」の策略には負けません

感謝する

Ⅱテモテ3:2
そのときに人々は、自分だけを愛し、金銭を愛し、大言壮語し、高ぶり、神を冒涜し、両親に従わず、恩知らずで、汚れた者となります。

恩知らずとは感謝のない心です

これは、終わりの日に「人々がどのようになるのか」というリストの一部です。

終わりの日、人々は「自分だけを愛し、金銭を愛し」「神を冒涜し」「汚れた者」となります。

そして、そのリストの中には「恩知らず」という言葉も記されています。

「恩知らず」とは「恩を受けてもありがたいと思わないこと」です。

つまり、感謝の心がない人のことです。

終わりの日、人々は「恩知らず」になります。

敵は、あわよくば「聖徒」を堕落させようと狙っています。しかし、たいていの聖徒は「神を冒涜する」ような誘惑には屈しないでしょう。

しかし「恩知らず」はどうでしょう?

敵は、私たちが「神の恵み」を忘れるようにと仕向けて来ます。

私は、自分が「恩知らず」の策略にはまっていたなと感じています。

覚えてください。

「恩知らず」は、悪霊から来るのです。それは「闇」に引きずり込む力です。大げさに言っているのではありません。「恩知らず」の策略にはまると、私たちの心は「喜び」を失ってしまうのです。

ローマ1:21
彼らは神を知っていながら、神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その鈍い心は暗くなったのです。

「感謝しない心」は「鈍く暗く」なります。

「恩知らず」は、私たちの心を「暗闇」にするのです。

「暗闇」の支配者とは誰でしょう?

もちろん、私たちは知っていますね。

「感謝のない心」は、暗闇となり「暗闇の支配者」に支配されてしまうのです。

終わりの日には、暗闇に捕らわれる人々が増えます。それは「聖徒」であっても例外ではありません。

詩篇103:2
わがたましいよ 主をほめたたえよ。主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな。

敵が「恩知らず」を広めようとしているならば、私たちは尚更「主の良くしてくださったこと」を覚えていましょう。

愛する兄弟姉妹。

私たちは「感謝」しましょう。日々、恵みを数えましょう。

私は「主の恵み」を語ります。主に「感謝」をささげます。

そして、同時に兄姉に対しても「ありがとう」と言い続けることを決心します。

私は「恩知らず」にはなりません。

「恵み」を忘れません。「感謝の心」を表します。

それが「光の中」に身を置くことなのです。

主よ、感謝します
兄弟姉妹を祝福します
主の恵みを数えて歩みます