No.277 「はからずも」は贈り物なのです!

落穂拾い

ルツ2:3
ルツは出かけて行って、刈り入れをする人たちの後について畑で落ち穂を拾い集めた。それは、はからずもエリメレクの一族に属するボアズの畑であった。

ルツはボアズの畑に導かれました

モアブ人であるルツは、イスラエルのベツレヘムに来たことなどなかったでしょう。

姑であるナオミに連れられ一緒に来ただけなのです。

「落穂拾い」の規定については、ナオミから聞いたのでしょうか?

ナオミと自分の食べる物を得るために、見知らぬ地で、見知らぬ人の中に入って働こうと決めたのです。

ですから、ルツは「ボアズの畑」であることを知りませんでした。

おそらく、目についた「大きな畑」に入ったのでしょう。

そこが「はからずも」買戻しの権利を持つボアズの畑であったということです。

「はからずも」とは、ルツの側からすれば「たまたま」ということです。

そこには何の画策もありませんでした。

ルツの目的は「買い戻してもらうこと」ではなく「落穂を拾うこと」でした。

しかし、主のご計画は「ボアズに買い戻させること」であり、そこから「ダビデ王」に続くことであり、最終的に「救い主」が誕生することでした。

私たちの「救い主」が、モアブ人の女性の経験した「はからずも」によって誕生したのは驚くべきことです。

ルツは言いました。

ルツ1:16
ルツは言った。「お母様を捨て、別れて帰るように、仕向けないでください。お母様が行かれるところに私も行き、住まれるところに私も住みます。あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。

ルツは、ナオミとナオミの神である主のために、すべてを捨てました。

それは、文字通り「すべて」でした。

ルツは、若い女性の抱く「夢」や「希望」を捨てました。

この時点では、再び結婚できるとは思えなかったはずです。

自分の故郷を捨てました。

イスラエルの地には親戚も友人もいませんでした。

ルツは、自分の故郷の偶像を捨てました。

彼女は、すべてを捨てたのです。

そして、そのようなルツを「イスラエルの神」が抱かれました。

詩篇45:10~11
娘よ 聞け。
心して耳を傾けよ。
あなたの民と
あなたの父の家を忘れよ。
そうすれば
王はあなたの美しさを慕うだろう。
彼こそあなたの主。
彼の前にひれ伏せ。

主がルツの「美しさを慕われた」のです。ルツの真心の美しさを愛されたのです。

「はからずも」は、私たちにとっては「予期せぬこと」「思っても見なかったこと」です。

しかし、主にとっては「愛する者への賜り物」です。

異邦人であるルツを、主なる神は愛してくださったのです。

「はからずも」に出会いたいなら、画策するのはやめなさい。

あなたの計画を手離すのです。

すべてを手離し、ただ「主よ、あなたと別れてどこにも行きたくありません」と告白しなさい。

主は「あなたの真心の美しさ」を喜んでくださいます。

主に愛されている聖徒は「はからずも」に出会います。

そして、それは、あなたの綿密な計画より、もっと素晴らしい結果を生み出します。

主よ、私はあなたから離れたくありません
ただ、あなたの御そばにおらせてください