これほどの信仰をみたことがありませんと言われました
「ただ、おことばをください」と百人隊長は言ったのです。
イエス様は、異邦人の百人隊長の家に行かれるつもりだったようです。
しかし、百人隊長は、自分も中風を病んでいるしもべも異邦人なので、ユダヤ人である主イエスを自宅に招く資格はないと断りました。
おそらく、最初から自宅に招くつもりはなかったのだと思います。
百人隊長は「ただ、おことば」が欲しかっただけなのです。
百人隊長は「自分は権威について理解している」と言っているのです。
「権威者のことば」には「力がある」ということを体験的に知っていると言っているのです。
そして、イエス様は、これを聞いて驚かれたとマタイは記しています。
イエス様は、百人隊長の「信仰」を称賛されました。
つまり百人隊長が「権威に対する理解を、イエス様に当てはめて考えたこと」は「信仰」であるということです。
百人隊長は「主イエスこそ権威を持っておられる方だ」と信頼しました。
「中風」という病に対しても「権威」をもっておられると信じていたのです。
そして、イエス様は、そのことを「立派な信仰だ」と称賛されたのです。
「信仰」とは、主イエスの「おことば」に力があると信じることです。
それは、闇雲に「信じます」と唱え続けることではありません。信仰は「思い込み」とは違うのです。
「信仰」とは、奇跡が必要な「その状況」に対して「主イエスが権威を持っておられる」のだと信じることです。
イエス様から発せられた「おことば」に「力」があるのです。
それは、イエス様が「すべての権威」をもっておられる方だからです。
私たちは「主イエスの権威」を信じているでしょうか。
「主」が語られたので「実現」するのです。
「天においても地においてもすべての権威を持っておられる方」の「おことば」なので成就するのです。
必要なことは「奇跡を信じること」ではなくて「その状況に対して権威をもっている方」を信頼することです。
私たちが信じるのは「奇跡そのもの」ではなくて「権威をもっておられる方」なのです。
私たちが「主イエスの権威」信じるならば「おことば」のとおりになります。
主は「天おいても地においても権威」をもっておられます
主が権威を持っておられることを感謝します
どうか「おことば」をください