No.425 「ただ、おことばを下さい」と言いました

権威の獅子

マタイ8:8
しかし、百人隊長は答えた。「主よ、あなた様を私の屋根の下にお入れする資格は、私にはありません。ただ、おことばを下さい。そうすれば私のしもべは癒されます。」

これほどの信仰をみたことがありませんと言われました

「ただ、おことばをください」と百人隊長は言ったのです。

イエス様は、異邦人の百人隊長の家に行かれるつもりだったようです。

マタイ8:7
イエスは彼に「行って彼を治そう」と言われました。

しかし、百人隊長は、自分も中風を病んでいるしもべも異邦人なので、ユダヤ人である主イエスを自宅に招く資格はないと断りました。

おそらく、最初から自宅に招くつもりはなかったのだと思います。

百人隊長は「ただ、おことば」が欲しかっただけなのです。

マタイ8:9
と申しますのは、私も権威の下にある者だからです。私自身の下にも兵士たちがいて、その一人に「行け」と言えば行きますし、別の者に「来い」と言えば来ます。また、しもべに「これをしろ」と言えば、そのようにします。

百人隊長は「自分は権威について理解している」と言っているのです。

「権威者のことば」には「力がある」ということを体験的に知っていると言っているのです。

そして、イエス様は、これを聞いて驚かれたとマタイは記しています。

マタイ8:10
イエスはこれを聞いて驚き、ついて来た人たちに言われた。「まことに、あなたがたに言います。わたしはイスラエルのうちのだれにも、これほどの信仰を見たことがありません。

イエス様は、百人隊長の「信仰」を称賛されました。

つまり百人隊長が「権威に対する理解を、イエス様に当てはめて考えたこと」は「信仰」であるということです。

百人隊長は「主イエスこそ権威を持っておられる方だ」と信頼しました。

「中風」という病に対しても「権威」をもっておられると信じていたのです。

そして、イエス様は、そのことを「立派な信仰だ」と称賛されたのです。

「信仰」とは、主イエスの「おことば」に力があると信じることです。

それは、闇雲に「信じます」と唱え続けることではありません。信仰は「思い込み」とは違うのです。

「信仰」とは、奇跡が必要な「その状況」に対して「主イエスが権威を持っておられる」のだと信じることです。

イエス様から発せられた「おことば」に「力」があるのです。

それは、イエス様が「すべての権威」をもっておられる方だからです。

マタイ28:18
イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても地においても、すべての権威が与えられています。

私たちは「主イエスの権威」を信じているでしょうか。

ルカ1:45
主によって語られたことは必ず実現すると信じた人は幸いです。

「主」が語られたので「実現」するのです。

「天においても地においてもすべての権威を持っておられる方」の「おことば」なので成就するのです。

必要なことは「奇跡を信じること」ではなくて「その状況に対して権威をもっている方」を信頼することです。

私たちが信じるのは「奇跡そのもの」ではなくて「権威をもっておられる方」なのです。

マタイ8:13
それからイエスは百人隊長に言われた。「行きなさい。あなたの信じたとおりになるようにう。」すると、ちょうどそのとき、そのしもべは癒された。

私たちが「主イエスの権威」信じるならば「おことば」のとおりになります。

主は「天おいても地においても権威」をもっておられます
主が権威を持っておられることを感謝します
どうか「おことば」をください