ヨハネ19:26~27
イエスは、母とそばに立っている愛する弟子を見て、母に「女の方、ご覧なさい。あなたの息子です。」と言われた。それから、その弟子に「ご覧なさい。あなたの母です」と言われた。その時から、この弟子は彼女を自分のところに引き取った。
主に信頼されることは可能なのです
ヨハネは、自分のことを「イエスが愛された弟子」と呼びました。これが、ヨハネの自己認識です。彼にとって自分は「イエスが愛された弟子」であるのです。
しかし、ヨハネはイエス様にとって「愛された」以上の存在です。
イエス様は、ご自身が苦しみを受けておられるにもかかわらずマリアを心配されました。主イエスは、マリアを大切に思っておられました。
そして、ご自身の大切な母を託すのにヨハネを指名されたのです。
ヨハネは、イエス様の意図をしっかり読み取りました。彼は、その日からマリアの面倒を見ることにしたのです。
ヨハネは、イエス様の弟子です。しかし、それ以上の者です。イエス様はヨハネを信頼されました。母マリアを託しても大丈夫だと思われました。
イエス様はヨハネを信頼されたのです。
愛していても「信頼」できないことはあります。
父親は、自分の子どもを愛するでしょう。しかし、赤ちゃんに大金を預けたりはしません。自分の心配事を相談したりもしません。そこには「愛」はありますが、対等な関係を持つ「信頼」はないのです。
主は、友には「知らせて」くださるのです。
御父から聞いたすべてのことを話してくださいます。ご自身の御心を啓示してくださいます。
主は私たちを愛してくださいます。私たちは、主の愛に満ちたります。
しかし、それ以上のことがあるのです。
私たちは、主の信頼を得ているでしょうか?
主が大切なものを託してもよいと思ってくださるほど信頼されているでしょうか?
私たちは幼子として「御父」を知りました。
しかし、いつまでも幼子として「御父」を知るだけで満足していてはなりません。
私たちも霊的な父・母として「初めからおられる方」を知らなければならないのです。
すべての源である方、万物にいのちと息を与えた方、私たちは「初めからおられる方」を知りたいと願います。
主は、ご自身の「愛」だけではなく「信頼」も、あなたに注ぎたいと願っておられるのです。
私は主に信頼されたいと願います。
幼子ではなく成熟した者とならせてください。
ヨハネのようにイエス様と親しくなれますように。