【Ⅱコリント2:14】
しかし、神に感謝します。神はいつでも、私たちをキリストによる勝利の凱旋に加え、私たちを通してキリストを知る知識の香りを、いたるところで放ってくださいます。
主イエスは勝利を得られました
私たちは、キリストの勝利にあずかるものです。凱旋とは「戦いに勝って帰ること」です。
つまり、自分たちは「勝利者」であると告げ知らせながら故郷に戻る行列なのです。
私たちは「天の故郷」に戻る途中です。そして、それは「凱旋」であるのです。
時々、私たちは自分が何もかもに「敗北」しているように感じます。
みじめな思いを感じます。悔しい思いを感じます。とても天にある国籍を誇れるような気持にはなれません。
しかし、パウロは言います。
神は「いつでも」キリストにある勝利の凱旋に加えてくださると。
「いつでも」です。
イエス様の勝利は確定しているのです。だから「凱旋」なのです。私たちは、勝利を取られた方の軍隊の一員なのです。
しかし、敵は往生際が悪く、なかなか敗北を認めようとはしません。あわよくば、凱旋中の兵士を打倒そうと狙ってくるのです。
天の御国に辿り着くまで気を抜くことはできませんが、「勝利者の列」に加えられている事実は変りません。
敵は、私たちを凱旋の行列から引き離そうとします。自分は、みじめな敗北者であると思い込ませてくるのです。
覚えてください。敵は「思いの中に要塞を築いてくる」ということを。あなたの「思い」に要塞を築かせてはなりません。敵の偽りを心に入れてはなりません。
私たちは「いつでも」凱旋に加えられます。どんなときでも、たとえ失敗したときでも、それでも凱旋の列に加えられています。
私たちは「勝ったぞ」と言いながら進みます。「主は勝利を取られた」「イエスは十字架の上で勝利を取られた」「よみがえって、今、生きておられる」と告げ知らせながら行進します。
「いたるところで」私たちを通して「キリストを知る知識の香り」が放たれます。主が「放って」くださるのです。
「いたるところ」つまり「あらゆる場所」で、「キリストを知る知識の香り」は放たれます。あなたが「どこにいたとしても」同じです。
イエス様は、はっきりと宣言されました。「わたしはすでに世に勝ちました」と。
私たちは、世に勝たれたイエス様につくものです。勝利を宣言しながら行進しましょう。
イエス様は勝利を得られました。
私は勝利の凱旋に加えられています。
主は、私を通してキリストを知る知識の香りを放ってくださいます。