【ヘブル12:1】
こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、一切の重荷とまとわりつく罪を捨てて、自分の前に置かれている競争を、忍耐をもって走り続けようではありませんか。
多くの証人たちがいます
多くの証人たちとは、私たちの前を歩いて行った信仰の勇士たちです。その信仰を称賛された人々です。
アブラハム、サラ、モーセ、ラハブ、ダビデやサムエルなどの人々です。また、ペテロやパウロ、ピリポやマグダラのマリヤのような人々です。
そして、私たちの知っているすでに天に召された愛する人たちのことです。
私は、いわゆる「古本」が大好きです。信仰良書と呼ばれる本には、絶版になっているものが多く、古本でしか手に入らないという理由もありますが、そうでなくても「古本」が好きなのです。
知らない誰かが使った本は嫌だと言う人もいますが、私は、その「知らない誰か」が使ったという事実が好きなのです。
そして、文書に線が引いてあるもの、メモなどの書き込みがしてあるものであれば、ますます良いと思うのです。まあ、それは信仰書に限ってという条件付きですが。
私が持っている古本のうち、数冊は「献上本」であったようです。受洗の記念に贈られたものや、何かの記念日などに贈られたものであったと思われます。
その中の一冊の表紙のうらにこのように書いてあります。
本当に、その通りであると思います。この方は、誰かにこの言葉とともに本を贈ったのですね。そして、贈られた人が何らかの理由で本を手放し、私のもとに辿り着いたわけです。そして、今、私がこのことばによって教えられることに、神様の摂理を感じます。
また、別の本には、御使いがハガルに「あなたの女主人のもとに帰りなさい」と言う部分にラインが引いてあります。そして、横に「すなわち札幌へ」と記されています。
こういうメモ書きを見ると、この人は無事に「札幌」に戻ったのだろうか、幸せに暮らしただろうか、などと考えてしまいます。
私たちの知らない場所で、多くの人が信仰を持って歩んでいることを覚えます。そして、多くの人が、この世での旅路を終えて、私たちを待っていることを覚えます。
私たちの前を多くの人が歩いて行ったのです。彼らは、主の御もとで、私たちを待っています。「私たちを抜きにして」彼らの完成はないからです。
アブラハムから始まった信仰の歩みは、今も続いています。私たちは「見えないものを確信」しながら歩みます。
天の故郷に憧れて、天の故郷を目指して旅しましょう。地上では旅人であり寄留者であることを告白して歩みましょう。
多くの証人が雲のように私たちを取り巻いています。
彼らが行った道を、私たちも行きましょう。天の故郷を目指すのに、不必要なものはすべて捨てて行きましょう。
この競争を終わりまで、忍耐をもって走り続けましょう。
私は地上では寄留者です。
天の故郷を目指す旅人です。
最後まで、忍耐をもって走り続けます。