No.240 私の「舌」は「キリスト」を告白します

スノードロップ

箴言18:21
死と生は舌に支配される。どちらかを愛して、人はその実を食べる。

舌には気をつけなければなりません

「生と死」は「舌」によって支配されると聖書は言います。

ヤコブ3:4
また船を見なさい。あのように大きくて、強風を受けていても、ごく小さい舵によって、舵を取る人の思いどおりのところへ導かれます。
同じように、舌も小さな器官ですが、大きなことを言って自慢します。見なさい。あのように小さな火が、あのように大きな森を燃やします。

大きな船が小さな舵によって導かれるように、私たちの「舌」は小さな器官ですが、私たちの人生を導きます。

何気ない「一言」が、大きく取り上げられ、自分でも思わない方向に導かれてしまうことは、ままあることです。

小さな「舌」によって、私たちの人生は「焼き尽くされて」すべてを失ってしまうということが起こり得るということですね。

しかし、逆もまた真なりです。

マルコ5:28
「あの方の衣にでも触れれば、私は救われる」と思っていたからである。

「思っていた」とは、直訳すると「言っていた」です。

「言う」ことは大切です。

私たちは「言う」ことによって、瞬間瞬間の「生と死」を選び取っています。

これは「積極的思考」とか「良い言葉は良いことを招く」などと言われていることとは違います。

私たちは確かに「良いこと」を口に出します。しかし、そこに「根拠」がないなら、それは「妄想」であり「空元気」というものです。

長血を患っていた女性は「あの方の衣にでも触れれば、私は救われる」と言っていたのです。

彼女は「あの方」を告白して救いを得たのです。

マルコ5:34
イエスは彼女に言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい。苦しむことなく、健やかでいなさい。

私たちの告白にも「あの方」が必要です。

つまり私たちの告白は、イエス様に根拠を置くものでなければならないということです。

ヨハネ1:4
この方にはいのちがあった。このいのちは人の光であった。

イエス様には「いのち」があります。

私たちは、日々、この方を「選び」ます。

イエス様には「すべて」があります。私の「知恵であり義と聖と贖い」です。

聖霊様はイエス様の栄光を現されます。

「舌」を聖霊様に支配していただきましょう。

そうすれば、私たちは「キリスト」を告白するようになります。

日々、いのちを選んで生きることができるようになります。

私たちは、いのちを愛して、そして「その実」を味わう者とされましょう。

私はイエス様に根ざした告白をします
イエス様には「いのち」があります
私の「舌」は聖霊様にお委ねします