No.433 理解できなくても、一緒に歩み続けます

進む道

ヨハネ6:63
いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。わたしがあなたがたに話してきたことばは、霊であり、またいのちです。

それは霊的なことだったのです

イエス様は、五つのパンと二匹の魚で五千人の人々を満腹させるという奇跡を行われました。

この奇跡に人々は熱狂しました。これは「分かりやすい奇跡」だったからです。

「お腹が満ちる」「必要が満たされる」というのは、最も「分かりやすいご利益」だと言えます。ゆえに、人々は主イエスに従ったのです。

主イエスは、従ってきた人々に「永遠のいのち」について語られました。

ヨハネ6:54
わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠のいのちを持っています。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。

「わたしの肉を食べ、血を飲む」という表現は、彼らには「受け入れがたい」ものであったようです。

ヨハネ6:60
これを聞いて、弟子たちのうちで多くの者が言った。「これはひどい話だ。だれが聞いていられるだろうか。」

多くの人がイエス様から離れて行きました。イエス様の言われたことが理解できなかったからです。

ヨハネ6:66
こういうわけで、弟子たちのうちの多くの者が離れ去り、もはやイエスとともに歩もうとしなかった。

「もはやイエスとともに歩もうとしなかった」とは、世界で一番悲しいことばです。

イエス様は、大切なことを語っておられました。

人が失ってしまった最大のもの「永遠のいのち」について語られたのです。

しかし「分かりやすいご利益」すなわち「この世のこと」を求める人々には全く理解できませんでした。

ヨハネ6:63
いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。わたしがあなたがたに話してきたことばは、霊であり、またいのちです。

イエス様が話されたのは「霊であり、またいのち」についてです。

それは「十字架のことば」です。「十字架のことば」は「御霊」によらなければ悟ることはできません。

ヨハネ6:67~68
それで、イエスは十二人に、「あなたがたも離れて行きたいのですか」と言われた。すると、シモン・ペテロが答えた。「主よ、私たちはだれのところに行けるでしょうか。あなたは永遠のいのちのことばを持っておられます。私たちは、あなたが神の聖者であると信じ、また知っています。」

この時、十二使徒たちはすばらしい応答をしました。

私は、彼らが「肉と血」について理解していたとは思いません。離れて行った人々と同じように「理解してはいなかった」と思います。

しかし、ペテロは言いました。

「あなたは永遠のいのちのことばを持っておられます。私たちは、あなたが神の聖者であると信じ、また知っています」

使徒たちは「理解できないこと」を問題とはしませんでした。なぜなら「語られた方ご自身」を信じていたからです。

彼らは「なくなってしまう食べ物」ではなく「主イエスのうちにあるもの」を求めていたのです。

使徒たちは、イエス様が「永遠のいのちのことば」を持っておられることを信じていました。

あなたは「何を求めて」主イエスに従いますか。

「見えるもの」につまずいてはなりません。

「理解できないこと」があっても、主とともに歩くことをやめてはなりません。

主イエスを信じ歩みましょう。主イエスを知ることを切に求めましょう。

目に見えるものは一時的であり、見えないものは永遠に続くのです。

私は永遠のいのちを持っています
私は御霊によって「いのちのことば」を悟ります
私は永遠のいのちに至る食べ物のために働きます