【ルカ24:32】
二人は話し合った。「道々お話しくださる間、私たちに聖書を説き明かしてくださる間、私たちの心は内で燃えていたではないか。」
エマオの途上での出来事です
二人の弟子はエマオという村に向かっていました。
二人の目はさえぎられていました。
ですから、イエス様が一緒に歩いておられのに分からなかったのです。
イエス様は彼らを「信じられない者たち」と呼ばれました。
彼らはイエス様を信じたいのです。しかし、十字架と復活があまりにも自分の理解を超えるので「信じられない者」となっているのです。
イエス様は、彼らに聖書全体に書いてあることを説き明かしてくださいました。聖書は、イエス様ご自身について証しているからです。
イエス様は、食卓に着きパンを裂いて渡されました。その瞬間、彼らの目は開かれたのです。彼らは言いました。
「私たちに聖書を説き明かしてくださる間、心は内に燃えていたではないか」
イエス様が、聖書を説き明かしてくださる間、彼らの心は内に燃えていたのです。
キリストについての御言葉を聞くと「心は燃える」のです。
十字架と復活は、弟子たちにとって「理解を超えた大いなること」でした。彼らは「信じられない者」でした。
しかし、聖書の説き明かしにより、彼らの心の内は燃えました。そして、裂かれたパンを渡されて、目が開けたのです。
「大いなる理解を超えた」主の御業を信じたいと願うなら「聖書のことば」を聞くことです。
キリストについての御言葉は、私たちの心を燃やします。
そして、その心で十字架の御業を覚える時、私たちの目は開かれます。
「信じられない者」から「信じる者」へ変えられます。
なぜなら、信仰は「聞くこと」から始まるからです。
私たちのそばには「聖霊様」がともにおられます。
聖霊様は、すべての真理に私たちを導き入れてくださいます。
聖霊様は、イエス様の栄光を現わされます。
私たちが望めば、聖霊様は喜んで「聖書全体」を説き明かしてくださるでしょう。
私たちも「信じて」「栄光を見る」ものとなれるのです。
私は「聖書全体」の説き明かしを聖霊様に願います。
私は「信じる者」となります。
目が開かれて「神の栄光」を見る者とされます。