【マタイ8:26】
イエスは言われた。「どうして怖がるのか。信仰の薄い者たち。」それから起き上がり、風と湖を叱りつけられた。すると、すっかり凪になった。
どうして怖がるのか
弟子たちは心底怖かったのです
大波をかぶって舟が沈みそうで、「自分たちではもうどうすることもできない」と弟子たちは思ったのです。
イエス様は「死んでしまいます」とわめく弟子たちに言われました。
「どうして怖がるのか、信仰の薄い者たち」と。
信仰は「薄まる」のです。
私たちはイエス様を信じています。
けれど、その信仰に「世の中の情報」を入れて薄めてしまうのです。
「常識的に」という言葉は、時々厄介なものです。「一般的に」とか「普通に考えれば」「経験からすれば」という言葉も同じように厄介です。
「普通に考えれば」この船はもう沈むだろうと弟子たちは思ったのです。自分たちのこれまでの「経験からすれば」この船は危ないと考えたのです。
だから、叫んだのです。
「主よ、助けてください。死んでしまいます。」
薄いとはいえ弟子たちには、主を呼び求める信仰がありました。
主は起き上がり、風と湖を叱りつけられました。湖は、一瞬にして静まり返ったのです。
日々の生活の中で、恐れを感じることもあるでしょう。私もあります。
そのようなときは、たとえ薄い信仰だと感じたとしても、主に叫び求めましょう。
主は必ず立ち上がり助けてくださいます。
けれども最も良いことは、薄まらない純粋な信仰で歩むことです。
信仰に「世の中のあれこれ」を混ぜてはいけません。
信仰に「常識や経験」を混ぜて薄めてはいけません。
イエス様は、すべてを支配しておられます。すべての権威を持っておられます。
私たちは、この方で満ちているのです。
願わくば、私たちは立ち上がり主イエスの権威によって宣言するものでありましょう。
恐れをもたらそうとするものよ。主イエスの御名により命じる。立ち去れ。
私のうちにはキリストが生きておられます。