マルコ4:40~41
イエスは彼らに言われた。「どうして怖がるのですか。まだ信仰がないのですか。」彼らは非常に恐れて、互いに言った。「風や湖までが言うことを聞くとは、いったいこの方はどなたなのだろうか。」
船長は「この霧がどれだけ濃いのか分かっていますか」と言いました。
濃い霧が発生していて、船は予定通りに進むことができなくなりました。
誰もが「仕方がないさ、誰のせいでもないからね」とあきらめていました。
しかし、ただ一人、諦めていない人がいました。
諦めない男、ジョージ・ミュラーは、船長に言いました。
「船長、どうしても土曜日の午後までにカナダに到着していなければなりません。」
船長はそれは無理だと答えました。
「それは不可能ですよ。ミュラー先生、この霧がどれだけ濃いのかご存知ですか」
「いいえ」とジョージ・ミュラ―師は答えました。
「私は、どれだけ霧が濃いかではなく、生ける神に目を留めているのです。神は、私の生活のあらゆる状況を支配しておられるのです。」それから、もっとも単純な祈りを捧げられました。~中略~
私が彼を見つめていると、ミュラー師は続けて言いました。
「船長、私が主を知るようになってから、もう57年になりますが、主が私の祈りを聞かれなかった日は、一日もありません。船長、さあ、立ちましょう。扉を開いてご覧なさい。霧はもうなくなっています。」立って扉を開くと、確かに濃霧は消え去っていました。
祈りの力 ジョージ・ミュラー著 マルコーシュ・パブリケーション
人生には必ず「問題」が発生します。
弟子たちは向こう岸にわたる際に「激しい突風」という問題に遭遇しました。彼らは、荒れ狂う湖を見て「恐れた」のです。
しかし、同じ舟に乗っておられたイエス様は違いました。主は、決して恐れたりなさいません。
イエス様が「黙れ、静まれ」と命じられると、風はやみ、湖は凪になるのです。
この一連の出来事を目撃した弟子たちには、別の恐れが生じました。
この方こそ「神の本質の現れ」です。この方こそ「みことばによって万物を保っておられる方」です。この方こそ「我らの主」なのです。
ジョージ・ミュラーの態度は正しいのです。
私たちが目に留めるべきは「荒れる湖」でも「濃い霧」でもありません。私たちが恐れるべきは「立ちはだかる問題」ではありません。
「霧がどれだけ濃いかではなく、生ける神に目を留めるべき」なのです。
恐れるべきは「あの人」や「あの問題」ではなく「たましいもからだもゲヘナで滅ぼすことのできる方」のほうです。
目の前に立ちはだかる「問題」を見つめていても恐れが増し加わるだけです。
ともにおられる方を揺り起こしなさい。イエス様にすがりつきなさい。「主よ、助けてください」と叫びなさい。
でも、もしできるなら、ミュラー師のように信頼して静かにひざまずきたいと私は願います。
「生けるまことの神」が、あなたとともにおられます。
主は、私の人生の「あらゆる波風、濃霧」を完全に支配しておられます。
主よ、あなたこそ万物の支配者です
主よ、あなたに目を留めます
私の人生はあなたの御手の中にあります