エレミヤ33:3
わたしを呼べ。そうすれば、わたしはあなたに答え、あなたが知らない理解を超えた大いなることを、あなたに告げよう。
それは単純な招きです
主は「あなたが知らない理解を超えた大いなること」を告げようと言われます。
「理解を超えた」とは、直接的には「要塞化された」「防護柵の張られた」などという意味です。
つまり、容易には知ることのできない「守られた」もしくは「隠された」情報ということです。
主は、ご自身のうちに保護された「情報」を持っておられるのです。
私たちは、その情報を自分の知恵や努力によって「知る」ことはできません。それは、人間には「理解できないこと」なのです。
「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、人の心に思い浮かんだことのないもの」を、主はご自身のうちに持っておられるのです。
「十字架のことば」も、その一つです。この知恵を「この世の支配者たち」は誰一人悟ることができませんでした。それは「要塞化」されていたので、この世の人々も、空中の支配者も「知る」ことができなかったのです。
しかし、主は「誰にも知らせたくない」と思っておられたわけではありません。
旧約の預言者たちは「受難のしもべ」について語っています。つまり「知る」ことのできる人々がいたのです。
エレミヤは「監視の庭」に閉じ込められているときに、主の語りかけを聞きました。身動きのとれない「狭い世界」にいたエレミヤに、天地の創造主が語りかけられたのです。
これが、エレミヤに語りかけられた方の「御名」です。その名が「主」である方が言われます。
あなたが「どこ」にいるのかは問題ではありません。
あなたが、自分をどのように感じていたとしても、それも問題ではありません。
必要なのは「神を愛する者」であること、そして「主を呼ぶこと」だけです。
私たちは、自分の考え、自分の状況から目を離して、ただ単純に「主を呼ぶ」必要があるのです。
それが、要塞の向こう側、防護柵の向こう側を知る唯一の方法なのです。
「地を造った主、それを形造って堅く立てた主、その名が主である方」を呼び求めましょう。
「そうすれば」主があなたに答えてくださいます。
「そうすれば」理解を超えた大いなることが告げられます。
主よ、私はあなたを呼び求めます
主の御名を呼びます
私は、ただ御名を呼ぶだけの者です

