2025.12.20 岩に建てるシリーズ「終末の学び」を追加

No.536 「まさか」の選びが「主の最愛」でした

ささやく羊

Ⅰサムエル16:12
エッサイは人を遣わして、彼を連れて来させた。彼は血色がよく、目が美しく、姿も立派だった。主は言われた。「さあ、彼に油を注げ。この者がその人だ。」

この者がそれだ、と言われます

サムエルは、最初、長男のエリアブを見て「彼こそ油注がれた者だ」と思ったのです。

しかし、主は言われました。「わたしは彼を退けている」と。

その次にサムエルの前に進み出たのは、次男のアビナダブでした。しかし、主は彼をも選んではおられませんでした。三男、四男と続けて前に進み出ましたが、主は誰のことも選んではおられませんでした。

Ⅰサムエル16:10
エッサイは七人の息子をサムエルの前に進ませたが、サムエルはエッサイに言った。「主はこの者たちを選んではおられない。」

エッサイは困惑したでしょう。「では、いったい誰が選ばれているというのだ」そう考えただろうと思います。

サムエルもまた困惑したことでしょう。主は確かに「エッサイの息子たちの中にわたしの王を見出した」と言われたのです。しかし、進み出た息子たちの誰をも、主は選んではおられないのです。

そのとき、サムエルに一つの思いが与えられました。

Ⅰサムエル16:11
サムエルはエッサイに言った。「子どもたちはこれで全部ですか。」エッサイは言った。「まだ末の子が残っています。今、羊の番をしています。」サムエルはエッサイに言った。「人を遣わして連れて来なさい。その子が来るまで、私たちはここを離れないから。」

エッサイには、まだ「末の子」がいたのです。

エッサイが何を思って「末の子」を連れて来なかったのかは分かりません。ただ、「末の子」は、その場に必要ではないと判断したのです。

私たちは、時々、エッサイのようなことをしてしまいます。

主に尋ねるよりも先に「これは必要ないだろう」「これは違うだろう」「これは関係ないだろう」と決めつけてしまうのです。

そして、自分が「良い」と思う選択肢を並べて「主よ、どれでしょうか。お示しください」などと言うのです。

しかし、もしかすると主は「どれをも選んではおられない」かもしれません。

Ⅰサムエル16:12
エッサイは人を遣わして、彼を連れて来させた。彼は血色がよく、目が美しく、姿も立派だった。主は言われた。「さあ、彼に油を注げ。この者がその人だ。」

ダビデが連れて来られたとき、主はすぐに言われました。

「さあ、彼に油を注げ。この者がその人だ」

主が選ばれたのは、大人たちが除外した「羊飼いの少年」でした。

私たちは、ダビデのことを知っていますから、この選びについて何の驚きもなく当然のように受け取れます。しかし、父親のエッサイにとっては「驚きの選択」であったでしょう。

「まさか、うちの末っ子が油注がれるなんて…」

エッサイの「末の子」は、これから「イスラエルの王」となるのです。エッサイが選ばなかった「まさかのダビデ」が、主に最も愛された王となるのです。

あなたの行く道を主にゆだねなさい。主の選びを信頼しなさい。あなたが「まさか」と思って除外していたものを選択肢に戻しなさい。

あなたは「最善」を求めて「判断」をするでしょう。しかし、主は「最愛」を備えておられます。

サウルが退けられたことを、いつまでも悲しむのはやめなさい。

失ったものを嘆き続けるのは、やめなさい。

あなたにも「ダビデ」が与えられるでしょう。主は、あなたに「最愛」を備えておられます。

ただ主を信じて、依り頼みましょう。

主よ、あなたを愛します
主よ、あなたの選択を信頼します
私は自分の判断で除外したことを悔い改めます