黙示録21:5
すると、御座に座っておられる方が言われた。「見よ、わたしはすべてを新しくする。」また言われた。「書き記せ。これらのことばは真実であり、信頼できる。」
御座に座っておられる方が
ヨハネに「書き記せ」と言われたのです。
聖書のことばは、すべて「神の霊感」によるものです。そして、もちろん「黙示録」もそうなのです。
黙示録は、何か得体の知れない恐ろしい事が記されているのではなく「真実で信頼できる」神のことばなのです。
イエス様は、はっきりと「この天地は消え去ります」と言われました。黙示録にも「以前の天と以前の地は消え去る」と記されています。
すべてのものは終わります。しかし、それは「新しい始まり」のためです。
私たちは確かに、すべてのものの終わりに向かっています。けれど、逆に言えば「始まり」に向かっているとも言えます。
「終わり」は「始まり」なのです。もっと言うなら「終わらなければ、始まらない」のです。「終わり」を恐れる必要はありません。「死」という「終わり」すら恐れる必要はないのです。
私たちが「終わる」のは新しく「始まる」ためです。
ですから、どんなものにも、しがみついていはいけません。手離したら「終わる」と心配しなくてもよいのです。
「終わる」ものは終わらせればよいのです。
私たちは御国に行くまでの間、様々な「終わり」を経験します。悲しい終わり、辛い終わりも経験するでしょう。
しかし、生かされている限り、それは「終わり」ではなく「始まり」になり得ます。
「見よ、わたしはすべてを新しくする」と御座に着いておられる方が言われます。
私たちは、すべてを「新しく」される方を、仰ぎ見ましょう。主の恵みは尽きません。主のあわれみは「朝ごとに新しい」のです。
夜が終わって、朝が来ます。今日は終わって、また明日が来ます。そうして、その先にある御国を待ち望みつつ歩みましょう。
私は主を仰ぎ見ます
すべてを新しくされる方を信頼します
今日は、終わりではなく始まりです