士師記7:7
主はギデオンに言われた。「手で水をすすった三百人で、わたしはあなたがたを救い、ミディアン人をあなたの手に渡す。残りの兵はみな、それぞれ自分たちのところに帰らせよ。」
手で水をすすった300人で救うと言われます
「恐れおののく者は帰れ」と命じられて、ギデオンのもとから「2万2千人」が去りました。
残ったのは「1万人」です。ミディヤンの兵は「13万5千人」です。
しかし、主は言われます。
「兵はまだ多すぎる」
そして、最終的にギデオンと一緒に行く人は「300人」となったのです。
勝利は「人数」によるのではないということが分かります。
主は「手で水をすすった三百人」を選ばれました。
「恐れ」を克服して残った「1万人」の中から「手で水をすすった三百人」を選び出されたのです。
彼らは「水辺」に連れて行かれました。主はそこで「彼らをより分ける」と言われたのです。
犬のように「口を水につけて」水を飲んだ者は帰らされました。
手ですすったけれど「膝をついた者」も帰らされました。
膝をつかず「手で口に水を運んだ者」だけが残されました。
ここで「主の兵士」の3つの特性が分かります。
一つ目は「恐れ」を閉め出した者であることです。
「1万人」の人々は「恐れ」に支配されてはいませんでした。「恐れおののく者」は帰れと言われても残った人々です。主に付き従いたいのなら「恐れおののかない」ことです。それは「第一の条件」です。
二つ目は「品性」を保っていることです。
聖徒に求められるのは「賜物を用いることができるか」ではなく「品性が整えられているか」ということです。犬のように水をなめる人たちは帰らされました。
三つ目は「戦いを心に留めている」ことです。
膝をついていることは「無防備である」ことを表します。イエス様は、終わりの日には「気をつけていなさい」と言われました。聖徒はみな「戦いの最中」であることを忘れてはなりません。
主が召し出された人であるならば、たとえ「300人」であっても「13万5千人」を蹴散らかすことができます。
重要なことは「人数」ではありません。また、私に「何ができるか」ということでもありません。
私たちは「一人で千人を追うことができる」のです。主が戦ってくださるので、それは「必ずできる」のです。
「何人いるのか」「何ができるのか」は問題ではありません。
問題は、私が「恐れていないか」「品性は整っているか」「危機感を持っているか」ということです。
ひとりで千人を追うことができると信じましょう。
私は千人を追えるのです。
「あなたがたの神、主ご自身が、あなたがたに約束したとおり、あなたがたのために戦われるからである」
約束された方は真実ですから、その実現には何の問題もありません。問題は「私」がどのような者であるかです。
主は「献身者」を求めておられます。「立派な人」や「優秀な人」を求めておられるのではありません。
全き愛によって恐れを閉め出し、御霊の実を豊かに実らせ、終わりの日を見据えて堅く立つ人を求めておられるのです。
私たちは、信じて立ち上がりましょう。
恐れを振り捨てて従いましょう。
御霊の実を結ぶことを切に望みましょう。
そして、今は「終わりの時代」であることを心に留めて生きましょう。
主が戦われることを信じます
私はひとりで千人を追えます
聖霊様、どうか私のうちに満ちてください