No.10「まず」の後には「そうすれば」がある

少年と聖書

【マタイ6:33】
まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。

まず、神の国と神の義を

「まず神の国と神の義を求めなさい」とイエス様は言われました。

「まず」と言われたのです。

「まず」とは他の物に先んじてそれを行おうとする気持ちであると辞書(明鏡国語辞典)に書いてありました。

「そうすれば」これらのものはすべて、それに加えて与えられるのです。

その昔、主はイスラエルにも同じ約束を与えられました。

〈出エジプト23:25〉
あなた方の主に仕えよ。そうすれば、主はあなたのパンと水を祝福する。わたしはあなたの中から病気を取り除く。

「主に仕えよ。そうすれば、パンと水を祝福する。」と言われました。

「パンと水」とは生きるために必要なものです。

主に仕えるなら生活の問題は、主が責任を持ってくださるのです。

〈Ⅰ列王記17:13〉
エリヤは彼女に言った。「恐れてははいけません。行って、あなたが言ったようにしなさい。しかし、まず私のためにそれで小さなパン菓子を作り私のところに持ってきなさい。その後で、あなたとあなたの子どものために作りなさい。

エリヤは貧しいやもめに、「まず」自分のためにパン菓子を持ってきなさいと言います。

なんとも酷なことを言いますね。

そのパン菓子のための粉と油は、彼女の全財産なのです。

それを「まず」自分にと言うのです。

しかし、彼女は従います。

「まず」エリヤのために仕えたのです。

〈Ⅰ列王記17:15~16〉
彼女は行って、エリヤのことばのとおりにした。彼女と彼、および彼女の家族も、長い間それを食べた。エリヤを通して言われた主のことばのとおり、かめの粉は尽きず、壺の油はなくならなかった。

主に仕える者は、主がその生活の面倒も見てくださるのです。

私たちは生活のための諸問題について心を悩ませます。

「どうすれば」それを得られるのかと考えます。
「どうすれば」それを失わないかと考えます。

私たちの「どうすれば」は何ももたらしはしません。

「心配」とは「心を配る」と書きます。

神様以外のものにいくら心を配っても、何も回収することはできません。

かめの粉も壺の油も遅かれ早かれ尽きるでしょう。

「まず」神の国と神の義を求めなさい。

私たちは、イエス様が教えてくださったとおりにするだけです。

心を主にだけ向けるのです。

「そうすれば」これらのものに加えて与えられます。

覚えてください。

「まず」の後には「そうすれば」があることを。

「まず」と言って求められることには、約束が伴っているのです。

「まず」神の国と神の義を求めなさい。

「そうすれば」これらのものはすべてそれに加えて与えられます。

〈マタイ6:34〉
ですから、明日のことまで心配しなくてよいのです。明日のことは明日が心配します。苦労はその日その日に十分あります。

私は、「まず」神の国と神の義を求めます。
今日、精一杯心を尽くして主に仕えます。