出エジプト12:13
その血は、あなたがたがいる家の上で、あなたがたのためのしるしとなる。わたしはその血を見て、あなたがたのところを過ぎ越す。わたしがエジプトの地を打つとき、滅ぼす者のわざわいは、あなたがたには起こらない。
その血を見てと言われます
主は、子羊の血が「しるし」となると言われました。
主のことばを信じて、家の門柱と鴨居に「子羊の血」を塗ったならば、だれであっても救われるのです。
ただし「血が塗られた家」から一歩たりとも外に出てはなりません。
頭が混乱することが時々あります。
何をしているのか分からなくなったり、自信を失ったりしてしまうのです。
そのようなとき、私は必ず「基本」に立ち返ります。
私たち聖徒にとっての「基本」とは「子羊の血」です。
イスラエルは「滅ぼす者のわざわい」から守られました。
それは「イスラエル人だったから」ではありません。たとえモーセであったとしても「血の塗られた家」から外に出ていたとしたら「滅ぼされた」のです。
逆を言えば、たとえ「極悪人」であったとしても「血の塗られた家」の中にいたならば「守られた」と言うことです。
この真理は、私をとても安心させます。
「救い」が、まったく「自分の力とは無関係」であることがはっきりと分かるからです。
今、私は「悔い改めが不要だ」という話をしているのではありません。
たとえ、どれほど放蕩息子、娘であったとしても「血」の中に走ってやってくれば「安心だ」と言っているのです。
御父が何を見ているのかを覚えなければなりません。
御父は、私の「行い」を見てはおられません。私が「何をしているのか」で判断されません。
「その血は、あなたがたがいる家の上で、あなたがたのためのしるしとなる」と聖書は言います。
聖徒にとって「その血」とは「子羊のようなキリストの尊い血」のことです。
イエス様の「血潮」を仰ぎなさい。
「その血がしるし」であることを覚えなさい。
何をしたか、何もしなかったか、十分できたのか、まだまだ不足しているのか…
それらのことは「救い」とは関係ないのです。それらは「救いをもたらさない」し「救いを損なうこと」もないのです。
大切なのは「その血」です。
私は、ただ「キリストの尊い血」によってのみ守られます。
御父は「その血」のみを見られます。私が「キリストの尊い血」のもとにいるならば、御父は、私を完全に守られます。
私がどんな者であっても「その血」のゆえに約束を破棄されることはありません。
ですから、愛する兄弟姉妹。
縮こまるのはやめなさい。
自分を見て、恐れて立ちすくむのはやめなさい。
自分を見て、自信を失い立ち止まるのはやめなさい。
「その血」を見なさい。「キリストの血」が何を成し遂げられたのかを思い見なさい。
私たちは「キリストの血」のみを携えて御前に出ます。
私たちは「その血」を大いに誇りましょう。私たちは「キリストの血」を宣言します。
「その血」こそが「しるし」です。私は、今日も「その血」のもとに生かされています。
キリストの尊い血を感謝します
「その血」がしるしであることを信じます
私は「その血」のもとから離れません

