Ⅰテサロニケ5:18
すべてのことにおいて感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。
すべてとは、文字通り「すべて」です
御父の望んでおられることは単純明快です。主は、私たちに「すべてのことにおいて感謝する」ことを望まれるのです。
私たちが、御心を行いたいと願うなら、まず「すべてのことにおいて感謝する」ことから始めなければなりません。
コーリー・テン・ブームが収容所に囚われていた時の話です。
コーリーたちが収容されていた場所は不衛生なひどい場所でした。そこには「ノミ」が、うじゃうじゃいたのです。コーリーは「こんな所に、いったい人間が住めると思うの」と不満をぶちまけ、わめきました。
その時、姉のベッツィーが言ったのです。「今朝、読んだ聖書の個所をもう一度読んでちょうだい」と。
「そこよ、コーリー。それが神様のお答よ。『すべての事について、感謝しなさい』わたしたちは、このことをすべきだったわ。たった今、この新しいバラックについて、一つ一つ感謝していきましょうよ」
~中略~
ベッツィーは、穏やかな口調で、さらにことばを続けました。「のみのために感謝します。それから…」
えっ、「のみ」ですって。幾らなんでも、これは度が過ぎます。「ベッツィー、のみのことでわたしに感謝させることは、たとい神様でも、おできにならないわ。」「すべてのことについて、感謝しなさい」彼女は、聖書のことばを引用しました。「気持ちのいい環境について感謝しなさい、とは書いてないでしょう。のみは、神様が私たちを置かれたこの場所の一部なのよ。」
わたしの隠れ場 コーリー・テン・ブーム著 いのちのことば社
私はコーリーの気持ちに同調します。幾らなんでも「ノミ」について感謝はできません。私は、引っ越したばかりの部屋にネズミが出没したとき、コーリーの気持ちが少なからず実感できました。
しかし、ベッツィーの言うことが、主の御心にかなっているのです。気持ちのいい環境についてだけ感謝するなら、それは容易にできます。
「どうしたらいいのか分からない」「何が御心なのか分からない」と心を騒がせてしまうとき、私たちは、自分がどこにいるのかを見失っているのです。それは、たいていの場合、目の前の出来事に呑み込まれているからです。「キリスト・イエスにある」ことを見失ってはなりません。
「どうしたらいいのか分からない」のなら、確実に「御心」であると確信できることから始めましょう。そうすれば「キリスト・イエスにある」ことを確信できるようになります。
私たちのできる最善のことは、その状況から目を離して「すべてのことにおいて感謝すること」です。
「感謝」は、私たちを恵みに導き入れます。一つ一つのことに対して感謝をささげるとき、私たちは、その一つ一つが、主の御手の中にあることを知るのです。
理解できなくても、キリスト・イエスにあって感謝しなさい。そうすれば「すべての理解を超えた神の平安」に満たされます。
私は「すべてのことにおいて」感謝します。
「すべてのこと」が主の御手にあることを感謝します。
理解を超えた神の平安で満たしてください。