ルカ18:10
二人の人が祈るために宮に上って行った。一人はパリサイ人で、もう一人は取税人であった。
イエス様は自分を正しいと確信している人たちに話されました
パリサイ人は、周りの人と自分を比べました。そして、「自分は他の人たちのようなではないことを感謝します」と言いました。確かに立派な人です。良い行いをする正しい人です。
取税人は、ただ下を向いて、自分の胸を叩き、主の「あわれみ」を求めました。ただそれだけです。
イエス様は、この取税人が「義と認められて」帰ったと、はっきり言われました。
パリサイ人の祈りではなく、取税人の祈りが主に受け入れられたのです。
御父は「あわれみ」を求めるものに目を留められます。
私たちの義は「不潔な衣のよう」だとイザヤは言います。私たちの良い行いは、主の御前に何の役にも立ちません。それは着ているのがかえって恥ずかしいような汚れた着物です。
救いは「行い」によっては決して得られません。救われてからも同じです。主は私たちの「行い」ではなく私たちの「心」を望まれます。
「あわれんでください」という「心」に目を留められます。自分の「正しさ」により頼まず、ただ「あわれみ」により頼む者の祈りに答えられるのです。
尽きることのない主のあわれみに依り頼みましょう。それは「朝ごと」に新しいのです。
今日の分の「あわれみ」を求めましょう。私は、主の「あわれみ」のうちに生かされています。
主よ。あわれんでください。
あなたのあわれみを注いでください。