【マタイ13:20~21】
また岩地に蒔かれたものとは、みことばを聞くと、すぐに喜んで受け入れる人のことです。しかし自分の中に根がなく、しばらく続くだけで、みことばのために困難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまいます。
根がなければ枯れます
岩地に蒔かれた種は、根付くことができません。
岩地とは、御言葉の上辺だけを聞く心のことです。
それは言い換えると、与えられる「物」と「事」のみを見ているということです。
そういう心では困難や迫害に耐えることはできません。
私たちはイエス様にあって歩みます。
イエス様のうちに根ざします。
イエス様にしっかりと根ざすためには、イエス様を「主キリスト・イエス」として受け入れることが必要です。
「イエスを主と告白し、神はイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるなら」救われるのです。
あなたは、イエス様を主と告白しましたか?
私たちは、闇から光へ、サタンの支配から神に立ち返りました。
救われるとは、「立ち位置が変わる」ことです。
支配権が移されることです。
私たちは、サタンの支配から解放されて「自分自身のもの」になったのではありません。
「イエスを主とするもの」となったのです。
大切なことは誰が「主」であるのかということです。
荒野でつまずいた多くのイスラエル人は「水がない」「肉が食べたい」とわめきました。
「エジプトで死んでたら良かった」などと言いました。
自分の欲しい物が与えられなければ不満に思う。
困難が起これば「神は愛なのになぜ?」と不平を言う。
これでは一体どちらが「主」なのでしょう?
私たちは、見えている何かに根ざしてはなりません。
主イエスに根ざすのです。
目に見える何かは、変わったり、失ったり、壊れたりするでしょう。
けれどイエス様は決して変わりません。
私は、イエス様を主と告白して歩みます。
私は、決して失望させられることはありません。
私は、イエス様に根ざします。
私は、いつまでも変わらない方を信頼します。