【マタイ27:45】
さて、十二時から午後三時まで闇が全地をおおった。
闇がおおいました
暗闇が訪れました。
イエス様を暗闇がおおったのです。
いのちに満ちた、光そのものである方に、
死が迫り、闇が襲ったのです。
御父は、イエス様を罪とされました。まったく罪のない方を「罪」とされたのです。
そして、この罪が御顔を隠させました。
罪は、神様との間を断絶するのです。
御父は、イエス様から御顔を隠されました。
イエス様は拒絶されたのです。
私の罪は、御父と御子の交わりを断絶したのです。イエス様の心はこの時、裂かれたのだと思います。
イエス様は、暗闇におおわれました。闇は全地だけでなく、イエス様にも襲いかかりました。
御父から顔をそむけられたイエス様は暗闇に投げ込まれたのです。
イエス様は罪による拒絶さえも経験してくださいました。「罪」とされたイエス様を、義なる御父は受け入れられませんでした。
主が同情できないほどの暗闇はありません。
「心が張り裂けそうだ。この痛みは誰にもわからない」と言わないでください。
イエス様はご存知なのです。
拒絶の痛みも
祈りが答えられない苦しさも
何もかも失ったという喪失感も
そして、罪による断絶も…
自分の罪のために、もう神様の御前に出られないと思うことほど辛いことはありません。それこそ本当に暗闇の中にいるように感じます。
しかし、主は「罪」とされ、その暗闇さえ味わってくださったのです。
だから、どうかお願いです。罪悪感に押しつぶされそうになったとしても、決してイエス様から離れないで。
あなたのすべての罪、痛み、苦しみ、悲しみをイエス様は担われました。御手と御足のみか「心も裂かれた」のです。
イエス様は、すべてをわかってくださいます。私たちの主は、私たちに同情できない方ではないのです。
人の弱さを知ってくださいました。だからこそ私たちは、この方の御名に望みを置くのです。
そして、その望みは決して失望に終わりません。
なぜなら、主は闇を消し去られたからです。
イエス様を見上げるとき、暗闇が消し去られたことを私たちは悟ります。
たとえ暗闇の中を歩いているように感じたとしても、主の御名を呼ぶなら闇は消え去ります。
イエス様は私のすべてを知ってくださいます。
イエス様は闇を消し去られました。
イエス様は私のすべてを負ってくださいました。