ミカ6:8
主はあなたに告げられた。
人よ、何が良いことなのか、主があなたに何を求めておられるのかを。それは、ただ公正を行い、誠実を愛し、へりくだって、あなたの神とともに歩むことではないか。
主が望んでおられることは一つです
グレアム・スクロギーという説教者がいました。彼は「名説教者」として知られています。
1950年代初期のケズィック・コンベンションでの彼の説教はとても素晴らしかったと言われています。
ある時、彼は病に倒れてしまいます。
医者は彼に言いました。
「スクロギーさん。唯一の治療法は説教をやめることです」と。
説教することは、彼の身体に大きな負担をかけていたのです。
スクロギーは悩みました。「説教」こそ彼のすべてであったからです。
そして、ある聖徒に相談の手紙を書きました。すると、スクロギーの予想もしなかった返事が届いたのです。
「君は、イエス・キリストに本当の明け渡しをしたことがあるか?」
すでに活躍していて、説教のしすぎで身体を壊したスクロギーに対して、何と言う質問をするのでしょう。
スクロギーはとまどいながらも、彼に返事を書きました。
「一般的に言えば、私はそのことをしました」
その聖徒は、再度、スクロギーに手紙を送ってきました。
「明確に、もう一度、はっきりとすべてを明け渡すと言いなさい」
スクロギーは、一人になって主の御前にひざまずきました。
すると静かなご臨在の内に強い自覚が彼の心を捕らえました。彼は、彼が自分の説教のために生き、伝道者として知られるために生きてきましたが、それが主を悲しませていることに気づいたのです。
祝されたデボーションのために ジョセフ・S・キャロル著 いのちのことば社
御言葉を語っていても「主を悲しませる」ことがあるのです。
「主のために」働いているつもりでも「主を悲しませる」ことがあるのです。
多くの人が熱心に「神のために」何ができるか、何をしようかと探し求めています。
しかし、主が私たちに求めておられることは明らかです。
「神とともに歩むこと」
主は、私たちと「ともに歩くこと」を望んでおられるのです。
スクロギーは、自分自身のすべてを明け渡しました。はっきりと「全き明け渡し」をしたのです。
「説教者である」ことより「主のもの」でありたいと思ったのです。
彼の身体は癒されました。彼は再び「説教」を続けることができるようになりました。
相変わらず「名説教者」でした。
しかし、その後、彼の説教を聞いた人は言います。
そのメッセージよりもさらに素晴らしかったのが、彼自身でした。その強烈さ、キリストに対する明らかな愛、熟練したみことばの把握。彼を通して語っておられた聖霊の意識は実に印象深いものでした。
祝されたデボーションのために ジョセフ・S・キャロル著 いのちのことば社
スクロギーを通して、聖霊様が語っておられたことは明白です。
主は、彼と「ともに」おられたのです。
「主のために」と「何か」を捜すのはやめなさい。
求めるべきは「主のために」ではなく「主とともに」歩くことです。
私は一般的な明け渡しではなく「全き明け渡し」をします
主と「ともに」歩みたいのです