【ヘブル9:28】
キリストも、多くの人の罪を負うために一度ご自分を献げ、二度目には、罪を負うためではなく、ご自分を待ち望んでいる人々の救いのために現れてくださいます。
二度目にはと書かれています!
イエス様は二度この地に来られるのです。
一度目はもう終わりました。
イエス様は、私たちの罪を負うためにご自身を献げてくださいました。私たちは、イエス様の十字架の御業によって、罪赦され救われたのです。
二度目は、まだ来ていません。
しかし、確実に来られます。
二度目つまり「再臨」の目的は、ご自分を待ち望んでいる人の救いのためです。
イエス様は再び来られて、義を持って統治されます。そして、それは主を待ち望む者にとっては救いなのです。
私たちは「すでに」と「今だに」の間に生きているとよく言われます。
私たちはその時の中で生きています。
そして、それは被造物であるサタンも同じです。
サタンは、すでに敗北しています。しかし、まだ火の池に投げ込まれてはいません。この世を暴れ回っているように感じます。
しかし、どうか覚えてください。
私たちの「主なる神」は、「すでに」と「今だに」の外におられるということを。
主は「時」の外におられます。主は「時」を包んでおられます。「時」は主の御手にあるのです。
すべては、主の御手の中なのです。
サタンは猶予が与えられているにすぎません。サタンであっても、主の支配の下で存在しているのです。
イエス様は、すでに勝利されたのです。
時が来るまでの間、私たちは「すでに」と「今だに」の間で生きなければなりません。しかし、その先にあるのは完全な勝利と栄光です。
定められた日があります。その日がいつかはわかりませんが、イエス様は必ず来られます。
確かに、今は苦難があります。
しかし、それは永遠という視点からは一時のものです。
私たちは、自分の苦難をパウロのように「軽い」とは呼べないかもしれません。
けれど必ず、その苦難をはるかに上回る栄光がもたらされます。
イエス様は来られます。そして、私は確かに携挙されると信じています。
それまでは、見えないものに目を留めて、一歩ずつ進んでいくだけです。
私はイエス様が再び来られることを信じます。
見えるものではなく見えないものに目を留めます。
イエス様がすでに勝利されたことを感謝します。