ヨシュア24:29
これらのことの後、主のしもべ、ヌンの子ヨシュアは百十歳で死んだ。
ヨシュアは、主のしもべです
ヨシュア記の初めでは、ヨシュアはこのように紹介されています。
ヨシュアは「モーセの従者」として記されています。
しかし、人生の終わり、ヨシュアは「主のしもべ」と呼ばれているのです。
ヨシュアの生涯は「成功」であったと私は思います。
主は、ヨシュアに「繁栄」を約束されました。あなたは「栄える」といわれました。ヨシュアは「みおしえの書を口から離さず、昼も夜もそれを口ずさんだ」のでしょう。
私は、確かに彼は「栄えた」と思います。
モーセは偉大な人です。その従者であることは光栄なことです。しかし、ヨシュアはいつまでも「モーセの従者」と呼ばれてはいませんでした。
ヨシュアは「主のしもべ、ヌンの子ヨシュア」なのです。
彼はもう「モーセの従者」ではありません。「主のしもべ」として記憶されるのです。
「栄える」とは「成功」という意味だという人もいます。そう解釈しても良いかもしれません。
「栄える」とは、主の御心を成し遂げることです。
イエス様は「しもべ」と呼ばれることを厭われませんでした。
父なる神は「しもべ」と呼ばれた方を「きわめて高く」上げられました。
なぜなら、御父の御心は「しもべであるイエス」によって成し遂げられたからです。
神の国における「成功者」とは「主のみこころを成し遂げた人」です。
主のしもべとして、主のみこころを慕い求めて生きる人こそ「成功者」です。主は、みこころを成し遂げるために繁栄させてくださるのです。
「繁栄」とは、みこころを成し遂げるために必要なすべてが備えられていることです。
主は、あなたが「みこころを成し遂げるために」必要なものを備えておられます。
それは「困難」や「苦難」をも含みます。みこころが成されるために「苦難」が必要ならば、主は「苦難」を与えられるでしょう。
みこころを成し遂げるために必要ならば、癒しも励ましも仲間も与えられます。経済的な必要も与えられます。
「繁栄」は、目指すものではありません。備えられるものです。「繁栄」は「目的」ではありませんし「結果」でもありません。それは「備え」です。
聖徒にとって「成功した人生」とは「主のしもべ」として記憶される人生です。
死ぬとき、その墓に「主のしもべ」と刻まれる聖徒は幸いです。
主ご自身に「よくやった忠実なしもべよ」と言われる聖徒は幸いです。
「主のしもべ」であることを誇りましょう。「主のしもべ」として、ただ「みこころを成し遂げること」だけを一心に求めて生きましょう。
私は「主のしもべ」です
主のみこころを成し遂げさせてください