ピリピ2:14
すべてのことを、不平を言わずに、疑わずに行いなさい。
「すべてのことを」です
「不平を言う」とは、どういうことでしょう。
「不平」とは、文字通り「心が平らかでないこと」です。平安の反対ですね。
その状態に納得がいかなくて穏やかな状態でいられないことです。
「不満」とは心が満足していない状態のことです。ですから「不満を溜め込む」と言います。
「不平」とは、そのことを表すことです。ですから「不平をつぶやく」と言うのです。
「不満」を持たないようになれればよいですが、それは、なかなか難しいでしょう。(もちろん、聖霊様によって可能であると信じます)
けれど「不満」を持ってしまったとしても、それを「不平」として言い表してはならないのです。
私は「不満」を「感謝」に変換して言い表す術を身に着けたいと願います。
パウロは「不平を言わず、疑わずに行いなさい」と言っています。
そもそも、私は自分が「不平を言っている」ことに気がついていませんでした。
自分が口にするような不平は正当であると思っていたのです。~中略~
人が自分の思うようにしなかった時に、私は不平を言いました。車のエンジンのかかりが悪い時や、どこかへ行く途中で赤信号に行き当たった時に不平を言いました。夜遅くまでオフィスで働かねばならなくて、時間通りに就寝できなかった時、不平を言いました。そして、翌朝また、初めからこの全部を繰り返すのでした。
聖霊が、あらゆる事に感謝せよという聖書の御言葉を示し始められた時、私は何年間もその正反対の事をやってきて、しかも、それに少しも気がついていなかったことを悟り始めました。
讃美の力 マーリン・キャロザース著 生ける水の川
マーリン牧師のこの証を読んだとき、まさに自分のことだと思いました。
私も「思い通りに事が運ばない」と不平を言います。
自分に対しても、それを邪魔する「人」にも「出来事」にも不平を言います。
人とは勝手な者で、雨が降ったら「今日は雨か。ムシムシするな」と文句を言います。晴れが続けば「菜園の野菜が心配だ。少し降ればいいのに」と言います。
これは、特に「非難している」つもりはない、ただ「ちょっと言ってみただけ」という不平です。
それは「たいしたことのない不平」だと思っていました。
しかし、「たいしたことのない不平」とは、いったい何でしょう。「不平」は「不平」です。私は「自分を誤魔化して」あわよくば「主ご自身をさえ」誤魔化そうとしているのです。
「不平」とは「納得できなくて穏やかでない状態」の表明のことです。
「不平」とは「すべてのことに感謝せよ」という御言葉に反する言動です。
私は「不平」を言うとき、主に対して「納得できません。モヤモヤします。なぜですか」と文句を言っているのです。
私は、自分が「不平を言っているのだ」と認める必要があります。そして、その「不平」は、主に向けられたものであることを認めなくてはなりません。つまり「不平」とは「罪」なのです。
とてもシンプルな命令です。
しかし、これは「生き方の鍵」となる御言葉です。
「不平」を言う習慣は打ち砕かれる必要があります。
私たちが「不平」を放置しておくならば、それはいつの日か「最も重要な日」に爆発するでしょう。
「たいしたことのない不平」が人間関係を破壊し、積み上げてきた計画を台無しにするのです。
けれど、もし、私たちが「すべてのことを、不平を言わず、疑わずに行う」ならば、主は「私たちのうちに働いて事を行なわせて」くださるでしょう。
そして、それはリバイバルをもたらすことになると信じます。
主よ、私は不平を言っていたことを認めます
御霊により、すべてのことに感謝することを教えてください
不平を言わず、疑わず行う者としてください