Ⅱコリント2:11
それは、私たちがサタンに乗じられないようにするためです。私たちはサタンの策略を知らないわけではありません。
敵は「偽り者」で「貪欲」なのです
パウロは「私たちはサタンの策略を知らないわけではありません」と言っています。
それは、つまり私たちには「敵」がいて、その「敵」は「策略」を持っていると言うことです。
そして、聖徒であるならば「敵の策略」を知っているはずだと言うことです。
私たちが「サタンなどいない」「霊的戦いなどない」と思い込んでいたとしても、それで実際に戦いがなくなるわけではありません。
恐らく、サタンが最も好きな人は「敵の策略を知らない人」もしくは「知ろうとしない人」だと思います。
敵は「策略」を持っています。
そして、もし私たちがそれを知らないのならば「敵に乗じられる」ことになるのです。
「乗じられる」とは、原語では「当然、受けるべき以上に要求する」「貪欲である」と言う意味が含まれます。
サタンは、聖徒の「無知」を利用します。そこに「付け込み」ます。
そして、聖徒から「奪えないはずのものを奪い去り」ます。サタンは、自分に権利のないものも要求します。
私たちが「それは、おまえのものではない。主にあって、それは私のものだ」と主張しないかぎり、勝手に盗って行ってしまうのです。
サタンは「偽りの父」であり「強盗」なのです。
イエス様は「だれにも奪われないように」と言っておられます。
「奪う者」がいるからです。「盗人」がいるのです。
私たちは「自分が何を持っているのか」を知らなければなりません。もし「何を持っているのか」を知らないなら「奪われていても」分からないでしょう。
聖書に記されている「すべての約束」「神の子どもの特権」を知ってください。それをしっかりと握るのです。
そして、もし「奪われている」ならば取り返すのです。
サタンは確かに「横暴な者」です。
しかし、主は言われます。
「あなたが争う者と、このわたしが争い」
主が私たちのために戦ってくださいます。ですから、必ず「奪われた物は奪い返せる」のです。
私たちは「サタンに乗じられて」はなりません。付け上がらせてはならないということです。
信仰に立って「立ち向かい」ましょう。
私たちはひとりではありません。
世界中で、同じ信仰を持つ聖徒たちが「立ち向かって」います。
主が来られる日まで、多くの兄姉たちと共に立ち向かいましょう。
あなたの持っているものを、決して奪わせてはなりません。
私は敵の策略を知っています
奪われたものを取り戻します
私は信仰に堅く立ちます