ヨハネ15:10
わたしがわたしの父の戒めを守って、父の愛にとどまっているのと同じように、あなたがたもわたしの戒めを守るなら、わたしの愛にとどまっているのです。
主の愛のうちにとどまることです
イエス様の戒めを守ることは「イエス様の愛のうちにとどまること」です。
神を愛する人は「神の戒め」を守ります。逆に言うと、口先だけで「愛しています」と言ったとしても「戒めを守らない」なら愛していないことになります。
サタンはエバに言いました。
C.H.マッキントッシュは「言い換えるとこういうことになる」と記しています。
神が食べてはいけないと言っておられる木の実を食べることには、確実な利益がある。それなのに、どうして神を信じる必要があるだろうか。もし、神があなたを愛しているなら、あなたが利益を得て楽しむことを、神が禁じるはずがない。どうして、あなたを愛していないものを、信じることができようか。
創世記講義 C.H.マッキントッシュ著 伝道出版社
サタンは、神の愛を疑うように仕向けきます。
「あなたに益となることを禁止する神が、あなたを愛していると言えるだろうか?」と言ってきます。
私たちが「物」と「事」で神様の愛を測っているなら簡単に騙されてしまうでしょう。
エバは、神様が「良い父」であって、決して「良いもの」を拒む方ではないことを信じなければなりませんでした。
エバは「神の愛にとどまること」に失敗したのです。
神の戒めを守ることは、神を愛することです。
神を愛することは、神を徹底的に信頼することによって証されます。
主は決して「良いもの」を拒まれることはありません。しかし、何が「良いもの」であるのかを決めるのは、私ではありません。
目に見えていることは、すべてではありません。目の前にあることのすべてを理解することができなくても、神が良い方であることを疑ってはなりません。
私たちは、ただ「神の愛のうちに自分自身を保ち」ます。
私は、主を信頼します
自分自身を神の愛のうちに保ちます
私は、理解できなくても従います