No.169 私は、主の愛のうちにとどまります

紅葉

ヨハネ15:10
わたしがわたしの父の戒めを守って、父の愛にとどまっているのと同じように、あなたがたもわたしの戒めを守るなら、わたしの愛にとどまっているのです。

主の愛のうちにとどまることです

イエス様の戒めを守ることは「イエス様の愛のうちにとどまること」です。

Ⅰヨハネ5:3
神の命令を守ること、それが神を愛することです。神の命令は重荷になりません。

神を愛する人は「神の戒め」を守ります。逆に言うと、口先だけで「愛しています」と言ったとしても「戒めを守らない」なら愛していないことになります。

サタンはエバに言いました。

創世記3:5
それを食べるとき、目が開かれて、あなたがたが神のようになって善悪を知る者となることを、神は知っているのです。

C.H.マッキントッシュは「言い換えるとこういうことになる」と記しています。

神が食べてはいけないと言っておられる木の実を食べることには、確実な利益がある。それなのに、どうして神を信じる必要があるだろうか。もし、神があなたを愛しているなら、あなたが利益を得て楽しむことを、神が禁じるはずがない。どうして、あなたを愛していないものを、信じることができようか。
創世記講義 C.H.マッキントッシュ著 伝道出版社

サタンは、神の愛を疑うように仕向けきます。

「あなたに益となることを禁止する神が、あなたを愛していると言えるだろうか?」と言ってきます。

私たちが「物」と「事」で神様の愛を測っているなら簡単に騙されてしまうでしょう。

マタイ7:11
このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子どもたちには良いものを与えることを知っているのです。それならなおのこと、天におられるあなたがたの父は、ご自分に求める者たちに、良いものを与えてくださらないことがあるでしょうか。

エバは、神様が「良い父」であって、決して「良いもの」を拒む方ではないことを信じなければなりませんでした。

エバは「神の愛にとどまること」に失敗したのです。

神の戒めを守ることは、神を愛することです。

神を愛することは、神を徹底的に信頼することによって証されます。

主は決して「良いもの」を拒まれることはありません。しかし、何が「良いもの」であるのかを決めるのは、私ではありません。

目に見えていることは、すべてではありません。目の前にあることのすべてを理解することができなくても、神が良い方であることを疑ってはなりません。

ユダ21
神の愛のうちに自分自身を保ち、永遠のいのちに導く、私たちの主イエス・キリストのあわれみを待ち望みなさい。

私たちは、ただ「神の愛のうちに自分自身を保ち」ます。

私は、主を信頼します
自分自身を神の愛のうちに保ちます
私は、理解できなくても従います