No.242 私は「夕」から始めます

夕日と鳥

創世記1:5
神は光を昼と名づけ、闇を夜と名づけられた。夕があり、朝があった。第一日。

夕があり朝があったのです

主は、一日を「夕」から始められました。

創世記1:5
神は光を昼と名づけ、闇を夜と名づけられた。夕があり、朝があった。第一日。

創世記1:13
夕があり、朝があった。第三日。

「第二日」も「第三日」も「第四日」も、もちろん、五日も六日も「夕があり、朝があった」のです。

一日は「夕」から始まるのです。

良い朝を迎えたいと願うなら「始まりの夕」を大事にせねばなりません。

私たちは、「朝」が始まりで、すべての営みが「夕」に終わると思います。

しかし、神様は「夕」から始められます。

「夕」は、すべての関りから解放されるときです。

私たちは「夕」には眠る準備をします。そして、闇の中で「安息」を得るのです。

主は、一日の「終わり」に「安息」を備えられたのではなく、一日を「安息」から「始める」ように定めておられるのです。

あなたの「終わり」は「始まり」です。

仕事の終わりは、新しい仕事の始まりです。

今日の終わりは、明日の始まりです。

すべての「始まり」の前に、まず「安息」を得ましょう。

新しい仕事は「平安」とともに行われるべきです。

新しい朝は「平安」に満たされていなければなりません。

そのために「夕」が大切なのです。

素晴らしい「朝」を迎えたいなら、「夕」に「安息」を得ていなければなりません。主の平安なしに「朝」を迎えるならば、私たちの「日中」は実りの少ないものとなるでしょう。

始まりの「夕」に「安息」を得ないなら、「朝」それを取り戻すのは至難の業です。

覚えてください。

主は「眠っている間に備えてくださる」のです。私たちには「眠る」ことが必要です。それは、すべてを「委ねる時間」です。

詩篇121:3~4
主は あなたの足をよろけさせず あなたを守る方は まどろむことはない。
見よ イスラエルを守る方は まどろむこともなく 眠ることもない。

「まどろむことも」「眠ることもない」方が、私たちを守っていてくださいます。

私たちは「夕」にすべてを委ねましょう。すべては手離すことから始まります。

「安息」から始めましょう。

「夕」の安息が、活力に満ちた「朝」を導くのです。

神の時は「夕」に始まるのです。

私は「夕」にすべてを委ねます
主は眠っている間に備えられます
主の平安とともに行きます