No.483 イエス様は「豊かないのち」のために来られました

風車と羊

ヨハネ10:10
盗人が来るのは、盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするためにほかなりません。わたしが来たのは、羊たちがいのちを得るため、それも豊かに得るためです。

主の羊はいのちを得るのです

イエス様は、サタンの目的を明らかにされました。

サタンは「盗人」です。それも「強盗」です。

敵は、私たちのものを「盗む」のに容赦はしません。彼らは、殺したり、滅ぼしたりします。そのようにして、私たちから「いのち」を奪うのです。敵の目的は「いのち」なのです。

イエス様は言われます。

ヨハネ10:10b
わたしが来たのは、羊たちがいのちを得るため、それも豊かに得るためです。

イエス様は、私たちが「いのちを得るため」に来てくださいました。

それも「豊かに得る」ためにです。

「ほんのちょっぴり」ではありません。神のいのちは「豊かないのち」なのです。それは「たっぷり」という意味です。

主の羊には「乏しいことはない」のです。

しかし、それは「常にあり余っている」ことを意味しません。私たちはみな「億万長者」にはならないでしょう。

「豊かさ」とは、一度にすべてを手にすることではなく「供給が途切れないこと」です。

詩篇34:10
若し獅子も乏しくなり 飢える。しかし 主を求める者は 良いものに何一つ欠けることはない。

「若い獅子」のように強く見える人でも「飢える」ことがあります。どれだけ大金持ちでも「破産」することがあるのです。

しかし「主を求める者は良いものに何一つ欠けることはない」のです。

ヨハネ15:4
わたしにとどまりなさい。わたしもあなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木にとどまっていなければ、自分では実を結ぶことができないのと同じように、あなたがたもわたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。

「いのち」の源である方に、とどまっていなければ私たちは枯れます。

「豊かないのち」を得るためには「主にとどまること」が絶対条件です。

敵は、そこに攻撃してくるのです。あなたがイエス様を忘れてしまうように仕向けて来ます。

イエス様との交わりを断とうとしてきます。そうすれば、私たちが滅びることを知っているからです。

盗まれてはなりません。与えられた豊かないのちを奪われてはなりません。

「いのち」がどこから来るのかを忘れてはなりません。

「いのちの源」である方に「とどまって」いるならば、私たちは乏しくはなりません。主は、必ず「必要な分」を満たし続けてくださいます。必要な力を与え続けてくださいます。

「豊かないのち」は約束なのです。

私たちは「豊かないのち」を生かされているのです。

与えてくださる方を信じましょう。何があっても、主にとどまり続けましょう。

主は頼もしいお方です。

主イエス様、私はあなたにとどまります
いのちの源である方を信じます
豊かないのちを感謝します