ヨハネ10:10
盗人が来るのは、盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするためにほかなりません。わたしが来たのは、羊たちがいのちを得るため、それも豊かに得るためです。
主の羊はいのちを得るのです
イエス様は、サタンの目的を明らかにされました。
サタンは「盗人」です。それも「強盗」です。
敵は、私たちのものを「盗む」のに容赦はしません。彼らは、殺したり、滅ぼしたりします。そのようにして、私たちから「いのち」を奪うのです。敵の目的は「いのち」なのです。
イエス様は言われます。
イエス様は、私たちが「いのちを得るため」に来てくださいました。
それも「豊かに得る」ためにです。
「ほんのちょっぴり」ではありません。神のいのちは「豊かないのち」なのです。それは「たっぷり」という意味です。
主の羊には「乏しいことはない」のです。
しかし、それは「常にあり余っている」ことを意味しません。私たちはみな「億万長者」にはならないでしょう。
「豊かさ」とは、一度にすべてを手にすることではなく「供給が途切れないこと」です。
「若い獅子」のように強く見える人でも「飢える」ことがあります。どれだけ大金持ちでも「破産」することがあるのです。
しかし「主を求める者は良いものに何一つ欠けることはない」のです。
「いのち」の源である方に、とどまっていなければ私たちは枯れます。
「豊かないのち」を得るためには「主にとどまること」が絶対条件です。
敵は、そこに攻撃してくるのです。あなたがイエス様を忘れてしまうように仕向けて来ます。
イエス様との交わりを断とうとしてきます。そうすれば、私たちが滅びることを知っているからです。
盗まれてはなりません。与えられた豊かないのちを奪われてはなりません。
「いのち」がどこから来るのかを忘れてはなりません。
「いのちの源」である方に「とどまって」いるならば、私たちは乏しくはなりません。主は、必ず「必要な分」を満たし続けてくださいます。必要な力を与え続けてくださいます。
「豊かないのち」は約束なのです。
私たちは「豊かないのち」を生かされているのです。
与えてくださる方を信じましょう。何があっても、主にとどまり続けましょう。
主は頼もしいお方です。
主イエス様、私はあなたにとどまります
いのちの源である方を信じます
豊かないのちを感謝します

