ヨハネ4:23
しかし、まことの礼拝者たちが、御霊と真理によって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はそのような人たちを、ご自分を礼拝する者として求めておられるのです。
今が、その時です
イエス様は「父は、まことの礼拝者を求めておられる」と言われました。
「まことの礼拝者」とはどのような人のことでしょうか。
まことの礼拝者とは「御父」を礼拝する者のことです。
まことの礼拝者とは「御霊と真理によって父を礼拝する」人々のことです。
私たちは「子とする御霊」を受けました。
その「子とする御霊」によって「父」を礼拝するのです。
イエス様が「父を礼拝する」と言われたことには大切な意味があります。
私たちは礼拝する時、「御父」に近づくのです。
私たちに与えられた御霊は「アバ、父」と叫ぶことができるようにしてくださいました。
「アバ」とは、くだけた表現です。「パパ」とか「お父ちゃん」と訳せるようなことばです。
御父は「アバ、父」と叫びながら御前に出て来る礼拝者を求めておられると私は信じます。
そうでなければ、イエス様がわざわざ「父を礼拝する」と言われるでしょうか。
まことの礼拝者はまた「真理」によって礼拝します。
「真理」とは、もちろんイエス様のことです。また「みことば」のことです。
真理は、私たちを自由にします。「いのちのことば」であるイエス様を知ると、私たちは自由になります。
つまり、礼拝とは「自由の子ども」が「御父」のみもとに行くことだと理解できます。
栄光の神の御前に出るのは畏れ多いことです。礼拝には「神への恐れ」が必要だと私は思っています。
しかし、それは「ビクビク、オドオド」しながら御前に出て行けと言う意味ではないと信じます。
形式ばった堅苦しい「礼拝と呼ばれる集会」を御父は望んでおられないと私は思います。
私たちは「一人の時でも」礼拝者なのです。
礼拝とは「場所」でも「儀式」でもありません。もちろん「プログラムをこなすこと」でもありません。
愛する兄弟姉妹。
私たちは「まことの礼拝者」とされることを求めましょう。「今が、その時」なのです。
「アバ、父」と叫びながら御前に出ましょう。
私たちは、そのご臨在の中で楽しみましょう。喜びましょう。いのちの道の知らせを聞きましょう。
大声で賛美し、飛び回って踊りましょう。
そして時には、静かに憩いましょう。
また、その聖さにふれたときには、黙してひれ伏しましょう。
私たちは「子としてくださる御霊」によって「真理による自由」の中で「アバ、父よ」と叫びます。
御父は「そのような人たちを、ご自分を礼拝する者として求めておられる」のです。
私は「子としてくださる御霊」を受けました
私は「御霊と真理によって」礼拝します
「アバ、父」あなたこそ、私の天の父です。