No.213 追いつめられても「ゆとり」があたえられます

広い場所

詩篇4:1
私が呼ぶとき 答えてください。私の義なる神。追いつめられたとき あなたは私を解き放ってくださいました。わたしをあわれみ 私の祈りを聞いてください。

私の「義なる神」とダビデは言いました

「追いつめられたとき あなたは私を解き放ってくださいました」とダビデは言います。

以前の新改訳では「あなたは、苦しみのときに ゆとりを与えてくださいました」と訳されています。

「ゆとり」を直訳すると「広くする」「大きくする」です。主は、私たちの心を「広く」してくださいます。「大きく」してくださいます。「ゆとり」を与えてくださるのです。

ダビデは、わが子アブシャロムに謀反を起こされました。苦しく、辛い心を抱えて、彼は王宮から逃げ出さなければなりませんでした。そのようなダビデに追い打ちをかけるような出来事が起こります。

Ⅱサムエル16:7カラ8
シムイは呪ってこう言った。「出て行け、出て行け、血まみれの男。よこしまな者よ。主がサウルの家のすべての血に報いたのだ。サウルに代わって王となったお前に対して。主は息子のアブシャロムの手に王位を渡した。今、おまえはわざわいにあうのだ。おまえは血まみれの男なのだから。」

シムイは、ダビデとその家来たちに石を投げつけました。そして、罵声を浴びせました。

簡単に言うと「ざまあみろ、おまえは、よこしまな者だから、わざわいにあうのだ」と罵ったのです。

「よこしまな者」とは、直訳すると「ベリヤアルな者」です。「ベリヤアル」とは「サタン」の別名ですから、あろうことか、ダビデは「サタン呼ばわりされた」と言ってもよいでしょう。

それでなくても、辛い心を抱えているのです。腹が立ってイライラしているのです。そして、同時に、悲しくて、寂しくて、後悔の念にさいなまれ、不安でいっぱいな状態なのです。

そのようなときに、言いがかりのような悪口を浴びせられ、「ベリヤアルめ、サタンめ」と罵られたのです。

ダビデの家来たちは怒りました。

Ⅱサムエル16:9
ツェルヤの子アビシャイが王に言った。「この死んだ犬めが、わが主君である王を呪ってもよいものでしょうか。行って、首をはねさせてください。

しかし、ダビデは言います。

Ⅱサムエル16:11
ダビデはアビシャイと彼のすべての家来たちに言った。「見よ。私の身から出た私の息子さえ、私のいのちを狙っている。今、このベニヤミン人としては、なおさらのことだ。放っておきなさい。彼に呪わせなさい。主が彼に命じておられるのだから。

ダビデは「放っておきなさい」と言いました。「これは主の許しのもとで起こっているのだから」と。

「追いつめられたとき」「苦しみのとき」にこのように言えるのがダビデなのです。ダビデの心には「ゆとり」があるのです。

詩篇4:1(新改訳第二版)
私が呼ぶとき、答えてください。私の義なる神。あなたは、苦しみのときに、ゆとりを与えてくださいました。私をあわれみ、私の祈りを聞いてください。

「私の義なる神」とダビデは、主に呼びかけます。ダビデが、拠り頼むのは「義」であられる神なのです。

Ⅰペテロ2:22~23
キリストは罪を犯したことがなく、その口には欺きもなかった。ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、脅すことをせず、正しくさばかれる方にお任せになった。

私たちの心の「ゆとり」は、「正しくさばかれる方」にお任せすることから来ます。

主は、すべてのことにおいて「正しくさばいて」くださいます。私たちの主は「義なる神」だからです。

「義なる神」に信頼しましょう。そうすれば、私たちも心に「ゆとり」が与えられます。

私は「義なる神」を呼び求めます
主は、すべてをご存じです
主よ、私に「ゆとり」を与えてください