詩篇4:1
私が呼ぶとき 答えてください。私の義なる神。追いつめられたとき あなたは私を解き放ってくださいました。わたしをあわれみ 私の祈りを聞いてください。
私の「義なる神」とダビデは言いました
「追いつめられたとき あなたは私を解き放ってくださいました」とダビデは言います。
以前の新改訳では「あなたは、苦しみのときに ゆとりを与えてくださいました」と訳されています。
「ゆとり」を直訳すると「広くする」「大きくする」です。主は、私たちの心を「広く」してくださいます。「大きく」してくださいます。「ゆとり」を与えてくださるのです。
ダビデは、わが子アブシャロムに謀反を起こされました。苦しく、辛い心を抱えて、彼は王宮から逃げ出さなければなりませんでした。そのようなダビデに追い打ちをかけるような出来事が起こります。
シムイは、ダビデとその家来たちに石を投げつけました。そして、罵声を浴びせました。
簡単に言うと「ざまあみろ、おまえは、よこしまな者だから、わざわいにあうのだ」と罵ったのです。
「よこしまな者」とは、直訳すると「ベリヤアルな者」です。「ベリヤアル」とは「サタン」の別名ですから、あろうことか、ダビデは「サタン呼ばわりされた」と言ってもよいでしょう。
それでなくても、辛い心を抱えているのです。腹が立ってイライラしているのです。そして、同時に、悲しくて、寂しくて、後悔の念にさいなまれ、不安でいっぱいな状態なのです。
そのようなときに、言いがかりのような悪口を浴びせられ、「ベリヤアルめ、サタンめ」と罵られたのです。
ダビデの家来たちは怒りました。
しかし、ダビデは言います。
ダビデは「放っておきなさい」と言いました。「これは主の許しのもとで起こっているのだから」と。
「追いつめられたとき」「苦しみのとき」にこのように言えるのがダビデなのです。ダビデの心には「ゆとり」があるのです。
「私の義なる神」とダビデは、主に呼びかけます。ダビデが、拠り頼むのは「義」であられる神なのです。
私たちの心の「ゆとり」は、「正しくさばかれる方」にお任せすることから来ます。
主は、すべてのことにおいて「正しくさばいて」くださいます。私たちの主は「義なる神」だからです。
「義なる神」に信頼しましょう。そうすれば、私たちも心に「ゆとり」が与えられます。
私は「義なる神」を呼び求めます
主は、すべてをご存じです
主よ、私に「ゆとり」を与えてください