Ⅰコリント14:1
愛を追い求めなさい。また、御霊の賜物、特に預言することを熱心に求めなさい。
預言することを求めなさいと言われます
すべての人が「預言者」でないことは当然です。
しかし、みなが「預言することを求める」のは聖書的なことだと私は思います。
今、私は「公の預言」を想定してはいません。私が言っているのは「人の徳を高めることば」のことです。
私は、教会には多くの「預言する人」が必要だと信じています。
みなが「人を育てることばや勧めや慰めを」語ればよいと心から思っています。
アメリカにあるコミニュティ・オブ・ジョイ教会のカレスタッド牧師の証です。
カレスタッド師は、人生の落ち込んだときに、とても考えられないようなところから個人的な預言を受け取った時のことを話してくれました。教会は経済的に困難な状態であり、彼は大変気落ちしていました。ほとんど字の書けないある女性が、預言を書いて彼に渡したのです。第一、彼女が字を書けたということだけでも不思議でした。彼にその紙を渡すとき、彼女は声を震わせてこう言いました。
「今まで、こんなこと一度もしたことがありません。」
その内容はまさに的を射たもので、このようなものでした。
「あなたは神に召された者です。気落ちしてはなりません。」
単純ですが、まさに彼が必要としていた言葉でした。預言とは、複雑だからと言って的を射ているとは限らないのです。
神の声 シンディ・ジェイコブス著 マルコーシュ・パブリケーション
牧師に「預言のことば」を書いて渡すなんて、とても勇気がいったと思います。
しかも、そんな「分かりきったこと」をわざわざ言う必要があるのかと疑ってしまいますよね。
けれど、主は「そんな単純で分かりきったことを伝えたい」と望まれたのです。
主は「気落ちした者を慰めてくださる神」です。
パウロが気落ちしていたときには、テトスを遣わして慰めを与えられました。
あなたの隣には「気落ちした人」はいませんか。主は、その人を「慰めたい」と望んでおられます。
主に、その人に対する「みことば」を求めてみてください。何かしらの励ましのことばを与えてくださるでしょう。
それは、とても単純なことばかもしれません。あなたはただ「主は、あなたを愛しておられます」と言うだけかもしれません。
しかし、それで十分です。それも預言なのです。
まずは、身近な人に「みことば」を贈ることから始めてもよいかもしれませんね。
どうか、「気落ちしている者を慰めてくださる神」があなたを用いてくださいますように。
兄弟姉妹を励まし、慰めることばを与えてくださいますように。
愛する兄弟姉妹。
私たちは「励まし合い」ましょう。お互いに「預言のことば」を熱心に求めて「徳を高め合い」ましょう。
尊いことを語るなら、私の口は、主の口となるのです。
主よ、慰めのことばを与えてください
気落ちした者を慰めるために、私を用いてください
主に、私の口をお献げします