エペソ2:6
神はまた、キリスト・イエスにあって、私たちをともによみがえらせ、ともに天上に座らせてくださいました。
私たちをともによみがえらせてくださいました
神は、私たちを「キリスト・イエスにあって、ともによみがえらせ」てくださいました。
「よみがえらせた」ということは、どういうことでしょう?
それは、つまり「私たちは死んだ」ということです。
「生きている者」をよみがえらせることはできません。「よみがえる」のは死んだ者だけです。
私たちは、イエス様とともに十字架につけられました。もはや、私が生きているのではなく、キリストが生きておられるのです。
それは「いつか、そうなるだろう」ということではなく「今、すでにそう」なのです。
私たちは「キリストとともによみがえらされ」ました。
そして、今「ともに天上に座って」いるのです。
地上において、私たちが「どのような者」であっても、天上においてすでに「キリストとともに座って」いることを覚えてください。
私たちは「キリストとともに座る者」です。
あなたは、自分のことを「何だ」と思っていますか?
自分のことを「どのように」感じていますか?
自分の過去を振り返る時、あなたから自信が崩れていくかもしれません。
自分の今を見つめる時、もしかすると「自分はたいして重要な人物ではない」と感じるかもしれません。
地上の視点で「自分」を見つめるのはやめなさい。
地上の視点から「へりくだる」ことは、「見せかけ謙遜」すなわち「高慢」を産むからです。
大切なのは「天上において」の自分です。
主の御目から見た「私」が、本当の「私」なのです。
そして、真のへりくだりとは「神のことばを素直に受け入れること」から生まれます。
つまり「天上の視点」を受け入れることです。
御言葉が「キリストとともに天上に座っている」と言っているのです。あなたの「地位」は、それ以下でもそれ以上でもありません。
至高の権威者が、あなたとともにおられます。あなたは、その方と一緒に「治める」のです。あなたは、この地における「重要人物」であることを忘れないでください。
あなたには「天上にあるすべての霊的祝福」が注がれています。
あなたは、その与えらた「霊的祝福」を、この地に現実化させるために生かされているのです。
主イエスの権威を信じましょう。私たちは、この方の権威とともに歩んでいます。
。古い「私」は、キリストとともに死んだのです。今ある「私」は、新しく「キリストにあって」よみがえらされた「私」なのです。
「天上に座る者」として生きましょう。
あなたの行くところ、どこにおいても「イエス・キリストの権威」が伴うことを信じてください。
私たちは「キリストにある」者なのです。
私はキリストとともによみがえらされました
私はキリストとともに天に座っています
私の行くところすべてに、主の権威が現れます

