No.82 主はあなたを黙らせます

静かな椅子

ゼパニヤ3:17
あなたの神、主は、あなたのただ中にあって救いの勇士だ。主はあなたのことを大いに喜び、その愛によって安らぎを与え、高らかに歌ってあなたのことを喜ばれる。

あなたに「安らぎ」を与えると書いてあります

「あなたに安らぎを与え」と書かれています。

「安らぎ」とは欄外注釈には「あるいは黙らせる」とあります。「静かにさせる」と訳されることもあります。

そこには「静寂」があるのです。

「ふかふかのカーペットに針を一本落としても響き渡るような静けさ」であると教えてもらったことがあります。

主の御前には楽しみがあります。喜びがあります。

主は、大いに喜ばれます。そして、私たちも、叫び、歌い、踊るでしょう。

しかし、ある時、主は、私たちを「黙らせる」のです。

主の御前での「沈黙」を恐れる必要はありません。私たちは、主の御前に何も語らず、ただ静まるというときが必要なのです。

しかし、誤解しないでください。それは心を空っぽにすることではありません。むしろ、逆です。

私たちはその静けさの中で、すべての理解を超えた神の平安に満たされます。そこには畏敬の念があります。恐れを感じると同時に安らぎにも満ちます。

「恐れ」と「安らぎ」は世の中では両立しません。けれど、主の御前では両立するのです。

私たちは主の御前に静まります。

そして、主が再び、私たちのことを「高らかに歌って喜ばれる」その時、私たちにもまた、賛美が沸き上がるでしょう。

主は、私たちを「黙らせ」ます。私たちの中で「たた主お一人が高められる」ためです。

そして、それは安らぎをもたらすためです。

何より素晴らしく畏れ多いことは、その静けさの中でこそ、主が「御声」を聞かせてくださることです。

私たちは天上の喜びの中で、大いに賛美しましょう。

そして、また、黙り、静まり、安らぎ、ひれ伏しましょう。

主が御声を聞かせてくださいますように。

私は主を賛美します。
主を喜びます。
そして、主の御前に静まります。