ゼパニヤ3:17
あなたの神、主は、あなたのただ中にあって救いの勇士だ。主はあなたのことを大いに喜び、その愛によって安らぎを与え、高らかに歌ってあなたのことを喜ばれる。
あなたに「安らぎ」を与えると書いてあります
「あなたに安らぎを与え」と書かれています。
「安らぎ」とは欄外注釈には「あるいは黙らせる」とあります。「静かにさせる」と訳されることもあります。
そこには「静寂」があるのです。
「ふかふかのカーペットに針を一本落としても響き渡るような静けさ」であると教えてもらったことがあります。
主の御前には楽しみがあります。喜びがあります。
主は、大いに喜ばれます。そして、私たちも、叫び、歌い、踊るでしょう。
しかし、ある時、主は、私たちを「黙らせる」のです。
主の御前での「沈黙」を恐れる必要はありません。私たちは、主の御前に何も語らず、ただ静まるというときが必要なのです。
しかし、誤解しないでください。それは心を空っぽにすることではありません。むしろ、逆です。
私たちはその静けさの中で、すべての理解を超えた神の平安に満たされます。そこには畏敬の念があります。恐れを感じると同時に安らぎにも満ちます。
「恐れ」と「安らぎ」は世の中では両立しません。けれど、主の御前では両立するのです。
私たちは主の御前に静まります。
そして、主が再び、私たちのことを「高らかに歌って喜ばれる」その時、私たちにもまた、賛美が沸き上がるでしょう。
主は、私たちを「黙らせ」ます。私たちの中で「たた主お一人が高められる」ためです。
そして、それは安らぎをもたらすためです。
何より素晴らしく畏れ多いことは、その静けさの中でこそ、主が「御声」を聞かせてくださることです。
私たちは天上の喜びの中で、大いに賛美しましょう。
そして、また、黙り、静まり、安らぎ、ひれ伏しましょう。
主が御声を聞かせてくださいますように。
私は主を賛美します。
主を喜びます。
そして、主の御前に静まります。