詩篇23:1
主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。
これは宣言です
詩篇23篇は、とても美しい詩です。
青い空に緑の牧場、羊はおのおの気ままに草をはんでいて、羊飼いは歌っている…
ゆっくりとした時間、牧歌的な雰囲気、平安に満ちた光景が浮かんできます。
けれど、実際の羊飼いの仕事は、牧歌的とはかけ離れていたようです。
創世記には、羊飼いであったヤコブが「昼は暑さで夜は寒さで眠ることもままならなかった」と言っています。
またダビデもサウルに言っています。
なかなか羊飼いとは過酷な仕事のようです。眠ることもままならず、獅子や熊という猛獣から羊を守り、自分自身も襲われる恐怖と戦いながら、群れを養い導かなければならないのです。
イエス様は「良い羊飼い」です。イエス様は「羊飼いの仕事」を完全に理解しておられます。それは、のんびりと緑の牧場で羊の番をするだけの仕事ではない「命がけ」の仕事なのだと知っておられるのです。
イエス様は、本当の「良い羊飼い」なので、私たちを取り戻すために「いのちを捨て」られたのです。
イエス様は「わたしは良い牧者です」と言われました。それは「わたしは、あなたの世話を引き受けた」ということです。
主は、進んで「過酷な仕事」を引き受けてくださいました。主は、昼も夜もまどろむことなく、あなたを守られます。良い草のある場所へ導かれます。養い育まれます。病気になったら看病し治療してくださいます。吠えたける獅子から守ってくださいます。
あなたは、主が「良い羊飼い」であることを信じますか?
それならば、ダビデと同じように言いなさい。
「私は乏しいことがありません」
これは、宣言です。そして、これは決断です。
もし、あなたが「主」を「私の」羊飼いだと言うのなら、けっして「不平不満」をつぶやいてはなりません。
「あれがない、これがない」と言うのは、イエス様の世話が行き届いていないという不平です。
「先のことが心配だ。この先が不安だ」と言うのは、イエス様の愛を疑うことです。
私たちは決断しなければなりません。
「主が羊飼いなのだから、私は乏しいことがない。主は私の世話を引き受けてくださった。私は、すべてを任せると決めたのだ」
これは、宣言なのです。
私たちは、日々、主が羊飼いであることを宣言しましょう。ゆえに「私は乏しいことがない」と言うのです。
「わたしは良い牧者です」と言われた方を信じなさい。
主は、あなたのすべてを引き受けてくださったのです。
主よ、あなたは私の羊飼いです
主よ、あなたは良い羊飼いです
私は乏しいことがありません

