マタイ18:22
イエスは言われた。「わたしは七回までとは言いません。七回を七十倍するまでです。
490回までではありません。
マタイ18:21
そのとき、ペテロがみもとに来て言った。「主よ。兄弟が私に対して罪を犯した場合、何回赦すべきでしょうか。七回まででしょうか。」
ペテロは、自信満々に尋ねたと思います。
当時、ラビと呼ばれる先生たちは「三回までは赦しなさい」と教えていました。
ペテロは、ラビたちの教えをはるかに上回る「七回」という数字を持って、イエス様のもとへ来たのです。
意気揚々と尋ねるペテロの姿が目に浮かびます。
しかし、イエス様の教えは、ペテロの思いとは全く違いました。
ずっと以前、この場面の寸劇を見ました。
ペテロ役の人が「では、490回まで赦せばいいんですかね?」とおどけて言っていたことを思い出します。
もちろん、イエス様はそのような意味で言われたのではありません。
そもそも人の過ちを数えている時点で赦していないのです。
1回から数えて490回まで、人の過ちを覚えているなんて異常なことでしょう?
「はい、490回目です。限度を超えました。もう赦しません」と神様が言われることなどありえません。
主は、私たちの「罪と不法を思い出さない」と言われるのです。
つまり、そもそも数えてなどおられないのです。
私はついつい、「あなたは、また、同じことをして」と怒ってしまいます。つまり、人の過ちを数えているわけです。
しかし、主は、私に対して「あなたは、また罪を犯したのか」とは決して言われません。
私たちは、主が赦してくださるように赦さなければなりません。
「七回を七十倍」とは、完全数の七の七十倍です。それは完全に限りなく赦せということです。
私は、人の過ちを数えません。
主が赦してくださったように赦します。
主の愛を注いでください。