【ヘブル12:2】
信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい。この方は、ご自分の前に置かれた喜びのために、辱めをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されたのです。
苦しみのあとを見て満足されます
イエス様は、激しい苦しみを私たちのために忍んでくださいました。
イザヤ53:11
彼は自分のたましいの
激しい苦しみのあとを見て、満足する。
わたしの正しいしもべは、
その知識によって多くの人を義とし、
彼らの咎を負う。
そして、その苦しみのあとを見て「満足される」のです。
「羊飼いの見た詩篇23篇」(フリップ・ケラー著 いのちのことば社)という本があります。元羊飼いであったという稀有な経歴を持つ牧師の書いた本です。
その本の中で彼は、初めて手に入れた30頭の羊について記しています。
当時は不況が続き、羊の代金を用意するのは、それこそ「血と汗」を流すような苦労であったと言います。
しかし、手に入れた羊たちを初めて見たとき、その苦労は吹き飛びます。
それは、夢にまで見た瞬間でした。
牧場に伏せっている羊に対して「自分の一部のような特別な感情を持った」と言っています。
イエス様は、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、十字架を忍んでくださいました。
その喜びとは何でしょう。
ご自分の血によって買い取られた「羊である私たち」のことです。
イエス様は、私たちをご自身の喜びとしてくださるのです。
あなたを手に入れるためであるなら、十字架も忍ぶと言われるのです。
救われて主のものとされた私たちを見て、ご自身のなされたことに満足されるのです。
主は血潮により買い取られた私達に関心を持っておられます。
それこそ、私たちは「キリストのからだ」の一部分なのですから。
倒れていたなら、起こしてくださいます。
元気がなく、うつむいていたら「どうしたのか、こっちを見なさい」と言われます。
今日、私たちは、何の価値もない、何もできない存在ではありません。
私たちは、主に喜んでいただけるものなのです。
それだけで今日を生きている意味があるのです。
イエス様を見上げて歩みましょう。
喜んで、感謝を持って見上げましょう。
主は私たちに満足と喜びを感じてくださいます。
イエス様が、私たちのために成し遂げてくださったことを日々思い巡らせましょう。
主イエスの御業について考えすぎることなどありません。
考えれば考えるほどよいのです。
思い巡らせば感謝と喜びがあふれてきます。
毎日、毎日、主イエスが成し遂げてくださったことを思い巡らせましょう。
そうすれば、元気を失うことはありません。
主の十字架の御業を感謝します。
私のために耐え忍んでくださったことを心から感謝します。
主が私を喜んでくださったことを感謝します。