No.69 感謝と恵みは一つです!

空とベンチ

【コロサイ3:16】
キリストのことばが、あながたのうちに豊かに住むようにしなさい。知恵を尽くして互いに教え、忠告し合い、詩と賛美と霊の歌により、感謝をもって心から神に向かって歌いなさい。

感謝をもって心からとパウロは言います。

「感謝を持って」とは、欄外注釈を見ると「別訳:恵みのうちに」と書いてあります。どちらにでも訳せるということです。

ヘブル12:28
このように揺り動かされない御国を受けるのですから、私たちは感謝しようではありませんか。感謝しつつ、敬虔と恐れをもって、神に喜ばれる礼拝をささげようではありませんか。

ローマ5:2
このキリストによって私たちは、信仰によって、今立っているこの恵みに導き入れられました。そして、神の栄光にあずかる望みを喜んでいます。

ヘブル12:28にある「感謝しつつ」と訳されている語と、ローマ5:2にある「この恵み」と訳されている原語は同じです。どちらも「カリス」という語が使われています。原語では「感謝」と「恵み」は同じ言葉なのです。(日本語に訳されている全部がそうではありませんが)

それが神から与えられるときは「恵み」と訳され、私たちがささげる時には「感謝」と訳されるのです。

「恵み」と「感謝」は切り離すことができません。

私たちは「感謝(カリス)」をささげます。そして、主は「恵み(カリス)」を与えてくださるのです。

主と私たちは同じものを共有しているとも言えます。恵みの中にいる人、恵みに満たされている人は、感謝にあふれ、感謝をささげる人です。感謝をささげる人は、恵みの中におり、ますます恵まれるのです。

それこそが主との交わりなのです。

少し大雑把な言い方をすれば「感謝せよ」と聖書が命じる時、それは「恵まれよ」と言っているのと同じだということです。

主は「恵み」を与えたいと願われるのです。主は恵みに満ちあふれておられるのです。主は、あなたを恵もうと待っておられます。

私たちは、主の恵みの中で生かされています。常に恵みの中にいるのです。しかし、私たちが感謝を忘れてしまうなら、私たちは恵みの外にいることになります。感謝と恵みは切り離せないからです。

「神の心にかなう人」とは「神の目の中に恵みを見つけた人」のことです。それは言い換えるなら「いつも感謝の心をもつ人」と言えるでしょう。「恵みを見つける人」は「感謝をささげる人」です。そして、その人は「主のみこころにかなう」のです。

感謝をささげましょう。感謝をもって御前に近づきましょう。そうすれば、主は、あふれるばかりの恵みを注いでくださいます。

主よ、感謝します。
私は常に感謝します。
あなたの恵みの中に生かしてください。