【コロサイ3:16】
キリストのことばが、あながたのうちに豊かに住むようにしなさい。知恵を尽くして互いに教え、忠告し合い、詩と賛美と霊の歌により、感謝をもって心から神に向かって歌いなさい。
感謝をもって心からとパウロは言います。
「感謝を持って」とは、欄外注釈を見ると「別訳:恵みのうちに」と書いてあります。どちらにでも訳せるということです。
ヘブル12:28にある「感謝しつつ」と訳されている語と、ローマ5:2にある「この恵み」と訳されている原語は同じです。どちらも「カリス」という語が使われています。原語では「感謝」と「恵み」は同じ言葉なのです。(日本語に訳されている全部がそうではありませんが)
それが神から与えられるときは「恵み」と訳され、私たちがささげる時には「感謝」と訳されるのです。
「恵み」と「感謝」は切り離すことができません。
私たちは「感謝(カリス)」をささげます。そして、主は「恵み(カリス)」を与えてくださるのです。
主と私たちは同じものを共有しているとも言えます。恵みの中にいる人、恵みに満たされている人は、感謝にあふれ、感謝をささげる人です。感謝をささげる人は、恵みの中におり、ますます恵まれるのです。
それこそが主との交わりなのです。
少し大雑把な言い方をすれば「感謝せよ」と聖書が命じる時、それは「恵まれよ」と言っているのと同じだということです。
主は「恵み」を与えたいと願われるのです。主は恵みに満ちあふれておられるのです。主は、あなたを恵もうと待っておられます。
私たちは、主の恵みの中で生かされています。常に恵みの中にいるのです。しかし、私たちが感謝を忘れてしまうなら、私たちは恵みの外にいることになります。感謝と恵みは切り離せないからです。
「神の心にかなう人」とは「神の目の中に恵みを見つけた人」のことです。それは言い換えるなら「いつも感謝の心をもつ人」と言えるでしょう。「恵みを見つける人」は「感謝をささげる人」です。そして、その人は「主のみこころにかなう」のです。
感謝をささげましょう。感謝をもって御前に近づきましょう。そうすれば、主は、あふれるばかりの恵みを注いでくださいます。
主よ、感謝します。
私は常に感謝します。
あなたの恵みの中に生かしてください。