コロサイ4:6
あなたがたのことばが、いつも親切で塩味の効いたものであるようにしなさい。そうすれば、一人ひとりにどのように答えたらよいかが分かります。
無益なことばには「味」はありません
「無益なことば」というものがあるのです。
「無益なことば」とは「何も生み出すことのないことば」のことです。つまり「意味のないことば」「無駄なことば」のことです。
主のことばには「無益」なものは一つもありません。主は「何かを生み出さないことば」を発せられることはありません。
主のことばは「雨や雪が地を潤して物を生えさせる」ように、私たちの心を潤し豊かにします。
主のことばは「みこころを必ず成し遂げ」ます。
主は、ご自身の「ことば」に自信を持っておられます。主は、ご自身の「ことば」に責任を持たれます。主は、決して「ご自身を否まれる」ことはありません。
そして、主の似姿に造られた私たちにも「自分のことば」に自信を持つように、責任を持つようにと望んでおられるのです。
私たちは「口から出ることば」に対して注意する必要があります。
「悪いことば」は、人の成長の役には立ちません。恵みも与えません。それは「何も生み出さない」ので「無益な」「無駄な」ことばです。
私たちは「無益なことば」つまり「何も生み出さないことば」について「さばきの日に申し開き」をせねばならないのです。
「親切で」とは、別訳では「恵みによるもので」です。
私たちのことばは、いつも「恵みによる塩味の効いたもの」でなければなりません。塩は、味を引き締めます。また、うま味、甘味を引き出します。酸味を和らげます。変色を防ぎます。
適量に用いるならば「塩」をいれた料理は、とても美味しいものです。
私たちは、日々の生活の中で「塩味」を効かせる必要があります。それも「恵みによる塩味」でなければなりません。
「無益なことば」とは「味のないことば」とも言えます。「味のないもの」が食べにくいように「味のないことば」もまた受け入れにくいものです。
しかし「恵みによる塩味の効いたことば」を話すなら、決して「無益なことば」にはなりません。「悪いことば」にもなりません。それは「味のあることば」となって、誰かの心に入ります。
信じてください。
あなたの「恵みによる塩味の効いたことば」で、慰められ励まされ、また成長する人が必ずいます。
雄弁でなくてもよいのです。あなたの「ことば」には「力」があるのです。
主よ、口の言葉を支配してください
私のことばを「恵みによる塩味の効いたもの」としてください
どうか、人の成長に役立つことばを語れますように