No.320 賛美のいけにえをささげます その②

スズラン

ヘブル13:15
それなら、私たちはイエスを通して、賛美のいけにえ、御名をたたえる唇の果実を、絶えず神にささげようではありませんか。

自分で実を結ぶことはできません

「賛美のことば」がうまく出てこない日もあります。

「あらゆるとき」に賛美をささげたいけれど、そのような気持ちになれないという日もあるでしょう。

そのようなときには焦らないことです。賛美を「しなければならない」と思わないことです。賛美を「肉の力」で生み出してはなりません。

地上において「美しいことば」や「感動的な旋律」が、天においてもそうであるとは限りません。主は「カインとそのささげ物には目を留められなかった」ことを覚えていてください。

賛美できないと思うとき、何か「賛美する材料はないか」と探し回るのはやめなさい。賛美は探すものではありません。まず「あらゆること」から目を離して、イエス様を見上げることです。

神殿のための材料が、主に献げられたとき、ダビデは言いました。

Ⅰ歴代誌29:14b
私たちは御手から出たものをあなたに献げたにすぎません。

私たちは、祈りや賛美は「自分の中から」生み出されていると思ってしまいます。ですから「そんな気分ではない」ときに賛美するのが難しいのです。

「実」は、自分の力では結べないことを覚えていてください。私たちは、イエス様にとどまっていなければ、自分で「実」を結ぶことはできないのです。

賛美は「唇の果実」です。私たちの「唇の実」は、主が結ばせてくださいます。

ですから、賛美ができない時にはお願いすればよいのです。

「主よ、唇の果実を創造してください」と。

イザヤ57:19
わたしは唇の実を創造する者。平安あれ。遠くの者にも近くの者にも平安あれ。わたしは彼らを癒す。ー主は言われる-

主は「無から有」を生み出す方です。私たちの「何もない」から「新しい賛美」を創り出されます。

それは、私が無理矢理にしぼり出したような「お粗末」なものではありません。主が「創造された」なら、それは「良き香り」のする果実です。たとえ、その日、与えられた言葉が「ハレルヤ」だけであったとしても。

主にささげる賛美さえ、主が与えてくださるのです。私たちが献げるものは、すべて「主から与えられたもの」です。

あなたの唇から「ハレルヤ」という言葉が出たならば、それは「新しい創造」です。それはありきたりな「ハレルヤ」ではありません。主が創造された「ハレルヤ」です。

ありきたりで簡単な誉め言葉に思えても、主の御前に「良き香り」を放つ「ハレルヤ」です。それは、昨日の「ハレルヤ」ではありません。

私たちは、今日、唇の果実を献げましょう。主が創造してくださる「唇の実」を。

あなたの今日の「ハレルヤ」は、昨日の「ハレルヤ」とは違います。それは、主が創造してくださった「良き香りの実」です。それは、主に献げる「新しい歌」です。

ヘブル13:15
それなら、私たちはイエスを通して、賛美のいけにえ、御名をたたえる唇の果実を、絶えず神にささげようではありませんか。

主よ、私に唇の実を創造してください
私は、あなたをほめたたえます
絶えず、御名をたたえます