【創世記4:4-5】
アベルもまた自分の羊の初子の中から肥えたものを持ってきた。主はアベルとそのささげ物に目を留められた。しかし、カインとそのささげ物には目を留められなかった。それで、カインは激しく怒り、顔を伏せた。
二人とも「ささげ物」をしました。
主はアベルとそのささげ物に目を留められました。
カインとささげ物には目を留められませせんでした。
何を献げるのかはとても重要です。
アベルは、正しい人であると書いてあります。
「いけにえ」が彼を正しい人であると証したのです。
その「いけにえ」は、カインのものよりもすぐれていました。
アベルはそのいけにえを信仰によって献げたのです
アブラハムの例にあるように、人が義と認められる(正しい人とされる)のは信仰によるのです。
誰も自分勝手な方法で、神様の御前に出ることはできません。
信仰による義人がささげる物は一つです。
アベルは「羊」を献げました。
レビ記には、ささげ物について、雄牛や羊、家鳩などの規定がありますが、共通していることは、みな「屠られて血を流す」ということです。
主は、アベルが持ってきた「羊の犠牲」に目を留められたのです。
イエス様こそ私たちの犠牲の子羊です。
ささげ物の羊は、必ず屠られます。
アベルの羊も屠らなければ献げられません。
イエス様は、私たちのために十字架に架かってくださいました。
私たちは、「イエス様の血によって」神の御前に出るのです。
主イエスの血によらずして誰も御前に出ることはできません。
主イエスの血によってのみ大胆に確信を持って聖所に入ることができるのです。
そして信仰によって、イエス様の血潮を持って御前に出るからこそ、御父は目を留めてくださるのです。
私は、確信をもって御前に出ます。
イエス様の十字架の血潮によって完全に受け入れられているからです。