2025.12.20 岩に建てるシリーズ「終末の学び」を追加

【黙示録13:2~8】屠られた子羊のいのちの書に名が記されていない者はみな、この獣を拝むようになる

再臨を待つ

黙示録13:8
地に住む者たちで、世界の基が据えられたときから、屠られた子羊のいのちの書に名が記されていない者はみな、この獣を拝むようになる。

竜は獣に自分の権威を与えます

海から一頭の獣が上って来るのを、使徒ヨハネは見ました。

黙示録13:1
また私は、海から一頭の獣が上ってくるのを見た。これには十本の角と七つの頭があった。その角には十の王冠があり、その頭には神を冒涜する様々な名があった。

「海から上ってきた獣」は、大きな赤い竜と同じような姿を持っています。

この獣に、竜の権威が与えられている証しでしょう。獣は、竜の思いを地上で成し遂げるのです。ある意味において竜と獣は「一体」であると言えます。

この十本の角と七つの頭については、黙示録17章で詳しく学びます。ですから、今回は先に進みましょう。

黙示録13:2
私が見たその獣は豹に似ていて、足は熊のよう、口は獅子のようであった。竜はこの獣に、自分の力と自分の王座と大きな権威を与えた。

使徒ヨハネが見た「海から上ってくる獣」は、ダニエルが見た「恐ろしく不気味な第四の獣」のことです。

ダニエルは四頭の獣を見ました。

獅子のような獣、熊のような獣、豹のような獣、そして、恐ろしく不気味な獣です。

「第四の獣」について、ダニエルはその姿を描写していません。ただ「恐ろしく不気味な獣」と記しているだけです。恐らく、ダニエルの見たことのない獣で、どんな獣にも例えられないと思ったのでしょう。

使徒ヨハネも、同じ獣を見たのだと思います。そして、理解は出来ないけれど「見たまま」を記したのでしょう。

これは、今までかつて存在したことのない生き物です。

「豹に似ていて、足は熊のよう、口は獅子のよう」な獣を想像することは難しいですね。

終わりの時に現れる「世界帝国」は、今だかつて存在したことのない国なのです。

しかし、今まで存在した世界帝国を思わせる国でもあります。

豹(ギリシャ)の素早さと、熊(メド・ペルシャ)のどう猛さを持ち、獅子(バビロン)のような権力を持つ国なのだろうと考えられます。

この「恐ろしく不気味な獣」とは、ローマ帝国のことであるとダニエル書で学びましたね。

「海から上ってくる獣」は、ローマ帝国を継承した世界帝国であり、反キリストその人です。

竜は、この獣に「自分の力と自分の王座と大きな権威」を与えるのです。

獣と呼ばれる反キリストは、全世界を支配する王となります。「王」と呼ばれるかは分かりませんが、実際、世界は彼の支配下に置かれます。

すべての権威を与えられた獣

全世界が獣に従い、竜が拝まれるようになる過程が黙示録には記されています。竜は、どこまでもイエス様の真似をしたいようです。

黙示録13:3
その頭のうちの一つは打たれて死んだと思われたが、その致命的な傷は治った。全地は、驚いてその獣に従い、竜を拝んだ。竜が獣に権威を与えたからである。また人々は獣も拝んで言った。「だれがこの獣に比べられるだろうか。だれがこれと戦うことができるだろうか。」

さて、この頭のうちの一つとは何のことでしょう。

黙示録17章でまた学びますが、頭とは「王」のことを表します。

黙示録17:9
ここに、知恵のある考え方が必要です。七つの頭とは、この女が座している七つの山で、それは七人の王たちのことです。

七つの頭とは、それぞれ「七人の王」であることが、この箇所から分かります。

この頭のうちの一つが「打たれて死んだと思われた」のです。しかし、死んではいません。「致命的な傷」を負いますが、それは治るのです。

その「致命的な傷」が何であるのかは分かりません。「打たれて死んだと思われた」のですから、病気ではなさそうです。もしかすると、暗殺されそうになるのかもしれませんね。何らかの戦いで負傷するのかもしれません。

とにかく、全世界の人々が「獣が致命傷を負った」ことを知るのです。このニュースは、瞬く間に全世界の人々の関心事になります。みなが、獣のことを考えるでしょう。みなが、獣に注目するのです。そして、それがサタンの狙いです。

獣は「瀕死」の状態から劇的に回復します。この回復の背後にサタンがいるのは確実でしょう。

サタンは、復活の主イエスの真似をします。しかし、サタンには「いのち」を与える力はありません。復活は「聖霊のみわざ」だからです。「劇的な回復」が精一杯なのです。

しかし、世の人々は、この「劇的な回復」に心を奪われます。

もう一度、黙示録13章3節を読みましょう。

黙示録13:3
その頭のうちの一つは打たれて死んだと思われたが、その致命的な傷は治った。全地は、驚いてその獣に従い、竜を拝んだ。竜が獣に権威を与えたからである。また人々は獣も拝んで言った。「だれがこの獣に比べられるだろうか。だれがこれと戦うことができるだろうか。」

「全地は驚いてその獣に従い」ます。そして「竜を拝む」のです。

全世界の人々が「竜」が獣に権威を与えたことを知っているようです。サタンは、どのような形でかは分かりませんが、隠れたところではなく「表舞台」に出て来るのです。

世界は、この獣を「絶賛」します。

「だれがこの獣に比べられるだろうか。だれがこれと戦うことができるだろうか」と言うのです。

これは、恐らく患難時代の後半の始めに起こるのではないかと思えます。

黙示録13:5
この獣には、大言壮語して冒涜のことばを語る口が与えられ、四十二か月の間、活動する権威が与えられた。

獣と呼ばれる「反キリスト」は、最初から「冒涜的」であったわけではありません。心のうちは分かりませんが、少なくとも表面上はそうです。

ダニエル9:27
彼は一週の間、多くの者と堅い契約を結び、半周の間、いけにえとささげ物をやめさせる。
忌まわしいものの翼の上に、荒らす者が現れる。そしてついには、定められた破滅が、荒らす者の上に降りかかる。

最後の「一週」つまり「七年間」のはじめに、反キリストは「多くの者と堅い契約」を結びます。これは、イスラエル人との間に結ぶ契約です。

しかし、その「半周の後」つまり「三年半」が過ぎたころ、彼は「豹変」します。その契約を一方的に破棄し、神の神殿を荒らし、冒涜のかぎりを尽くすのです。

「致命的な傷」からの回復が、その「豹変」のきっかけになるのだろうと考えられます。獣の回復は、確実にサタンの力によるものです。何が起こるのかは分かりませんが、このときから、獣すなわち「反キリスト」は、全く「竜と一つ」となるのではないでしょうか。

竜と反キリストそして、後で登場する偽預言者を合わせて「汚れた三位一体」と呼ぶ注解者もいます。確かに、彼らは「その心において一つ」であることは間違いありません。

竜は、獣である反キリストに「自分のすべて」を与えます。権威、力、王座を与えます。そして、反キリストによって「全世界から礼拝」を受けるようになります。

世界は「死んでよみがえられた主イエス」を受け入れませんでしたが、瀕死の状態から回復した反キリストは受け入れるのです。

子羊のいのちの書に名が記されている者は

竜であるサタンは、天にのぼって「いと高き方」のようになろうとしたのに、今は「地に落とされ」もはや決して「天にのぼる」ことはできません。

しかし、サタンの欲望は、地に落とされなお、燃えあがるようです。サタンは、この地において全世界からの「礼拝」を受けることを望むのです。

Ⅱテサロニケ2:4
不法の者は、すべて神と呼ばれるもの、礼拝される者に対抗して自分を高く上げ、ついには自分こそ神であると宣言して、神の宮に座ることになります。

サタンと「その心を一つ」とする反キリストは「自分を高く上げ」「自分こそ神である」と宣言します。

獣である反キリストは、この地において冒涜のかぎりを尽くすようになります。

黙示録13:5
この獣には、大言壮語して冒涜のことばを語る口が与えられ、四十二か月の間、活動する権威が与えられた。

大患難時代の「四十二か月間」つまり「三年半」は、獣の時代です。その間、獣は「活動を許される」のです。

それは、聖徒にとっては辛い苦難の時代です。

黙示録13:6
獣は神を冒涜するために口を開いて、神の御名と神の幕屋、また天に住む者たちを冒涜した。

獣が冒涜するのは「聖なる神に属するもの」です。

それは、サタンが「聖なる神に属するもの」を憎んでいるからです。サタンは、神に属する何もかもを憎んでいます。それは「地上に存在するもの」であっても「天に存在するもの」であっても同じです。天に召された聖徒のことも、サタンは憎んでいます。

反キリストは「天に住む者たち」をも冒涜するのです。

サタンの憎しみは「世界中」に蔓延していきます。地に住む人々で、獣の支配下に置かれる者は「聖なる神に属するもの」を嫌うようになるだろうと私は思います。

黙示録13:7
獣は、聖徒たちに戦いを挑んで打ち勝つことが許された。また、あらゆる部族、民族、言語、国民を支配する権威が与えられた。

獣は「全世界を支配する者」として、公に「聖徒」を打ち叩きます。獣が、聖徒を追いつめることに、世の人々は賛同すると思われます。

黙示録13:8
地に住む者たちで、世界の基が据えられたときから、屠られた子羊のいのちの書に名が記されていない者はみな、この獣を拝むようになる。

地に住む者たちは、獣である反キリストを「一人の政治家」以上の者、つまり「拝む対象」として受け入れるようになります。獣は、地に住む人々を自分の「信奉者」にしてしまいます。

しかし、地に住む者たちの中には「獣を拝まない者」もいます。屠られた子羊のいのちの書に名が記されている者は、聖なる神以外にひれ伏すことは決してありません。

愛する兄弟姉妹。

あなたが「礼拝者」であることは、特別なことであると覚えてください。

あなたの名は「子羊のいのちの書」に記されているのです。そこに名が記されていない者は、聖なる神を礼拝することはできません。

確かに、今も、サタンは「聖なる神に属するもの」を憎んでいます。ですから、あなたを「真の礼拝」から遠ざけようとするのです。

あなたが、御前にひれ伏すことができるのは「世界の基が据えられたときから」の恵みです。

エペソ1:4
すなわち神は、世界の基が据えられる前から、この方にあって私たちを選び、御前に聖なる、傷のないものにしようとされたのです。

主は、あなたを「選んで」くださいました。あなたは「御前に」ひれ伏すために選ばれたのです。

「聖なる、傷のないもの」でなければ御前に出ることはできません。

主は、子羊の血によって、あなたを「聖なる、傷のないもの」にしてくださいました。

私たちは「御前に」ひれ伏すようにと「世界の基が据えられる前から選ばれた」のです。

もし、私たちが「聖なる神」を礼拝しないなら、他のものを礼拝することになります。サタンは、常に「神以外のもの」を礼拝させようとしています。あなたの目を「聖なる神」から離そうと画策しているのです。

神の恵みを受けた「特別な存在」である聖徒を、サタンは憎んでいます。あなたは、自分の「選びの特別性」を心に留めていなければなりません。

サタンにとって、主が選ばれた者が「礼拝しない」ことは喜びです。その特権を無駄にして、世の人々と同じように生きている姿を見て楽しんでいるのです。

サタンは、聖徒が「偶像礼拝」に陥ることを最も望んでいます。知らずに「偶像」を心に向かえるように仕向けるのです。サタンは、日曜日の「集会」が「礼拝のすべて」であると思わせておきたいのです。

誤解しないでください。私は、聖日礼拝を否定しているのではありません。聖徒がともに集うことは最大の喜びです。しかし、それは「礼拝のすべて」ではないと言いたいのです。私たちは、日々「礼拝者」であるべきなのです。

聖徒は、あからさまな「偶像礼拝」には陥らないでしょう。

あなたは「形あるもの」を拝むことはしないでしょう。

しかし「見えない偶像」はどうでしょう?

「経済」「仕事」ときには「自分自身」「家族」「友人」も偶像になり得ます。

また「教会」や「奉仕」が偶像になることもあるのです。

私たちは「聖なる神」だけを礼拝します。それは、特別なことです。それは、主の選びによるものです。

主は、あなたを「礼拝者」として選ばれました。御前にひれ伏す特権を与えてくださいました。御前で「喜び」に満ちるようにと望んでおられます。

反キリストの霊は「すべて神と呼ばれるもの、礼拝されるものに対抗する」ものです。

あなたが「霊とまことによって礼拝する」ことを最も嫌います。

ですから、兄弟姉妹。

私たちは、大いに「聖なる神」を礼拝しようではありませんか。

詩篇23:5
私の敵をよそに、あなたは私の前に食卓を整え、頭に香油を注いでくださいます。私の杯は、あふれています。

以前の新改訳では「私の敵の前に」と訳さていました。

主は、敵の前で「宴会」を催される方です。主は、敵がいることなど気にも留められず、そこに「食卓」を設けられます。

主が「敵をよそに食卓を整え」てくださるのです。

それならば「そこに敵がいるから」と怯える必要はありません。「戦いの最中に宴会なんて」と思う必要もありません。むしろ、敵がいるからこそ礼拝をささげようではありませんか。

心から喜んで「食卓」に集いましょう。主が注いでくださる「香油」を喜びましょう。

終わりの日、確かに「地に住む聖徒」は苦難にあいます。それは想像を絶するものでしょう。

しかし、それでも私は、その苦難の中にあっても「食卓」が整えられるだろうと信じます。

終わりの日の聖徒たちが、その苦難の中にあっても「わたしの杯はあふれています」と叫ぶだろうと信じたいのです。

私たちも叫びましょう。

たとえ、今、苦しみの中を歩いていても、不安や悲しみを感じていても…

それでも「礼拝者」でありましょう。絶えず「御前」にひれ伏す者でありましょう。

「子羊のいのちの書に名が記されている者」として、ただ主だけを礼拝しましょう。

シャロームを祈ります。