2025.12.20 岩に建てるシリーズ「終末の学び」を追加

【黙示録13章1節】また私は、海から一頭の獣が上って来るのを見た

再臨を待つ

黙示録13:1
また私は、海から一頭の獣が上って来るのを見た。これには、十本の角と七つの頭があった。その角には十の王冠があり、その頭には神を冒涜する様々な名があった。

獣と獣の国は同じです

前回は、黙示録12章の終わりまでを学びました。今回は、黙示録13章の学びの序論です。

さて、地に投げ落とされた竜は、自分の時が短いことを知って激しく憤っています。

黙示録12:17
すると竜は女に対して激しく怒り、女の子孫の残りの者、すなわち、神の戒めを守り、イエスの証しを堅く保っている者たちと戦おうとして出て行った。

竜すなわちサタンは、イスラエルを激しく追いかけます。しかし、主は、イスラエルに大鷲の翼を与えられ、荒野に備えられた場所にかくまわれます。

竜は、荒野にかくまわれているイスラエルを滅ぼすことはできません。ゆえに、サタンの敵意の矛先は「女の子孫の残りの者」に向けられるのです。

竜は攻撃の対象を「イエスの証しを堅く保っている者たち」に変えるのです。

黙示録12:18
そして、竜は海辺の砂の上に立った。

今、竜は「この地」に足をつけて立っています。そして、海の方を見つめて立っています。もちろん、ただ立っているだけではありません。

竜は「待って」いるのです。いや、「呼び寄せている」と言った方がいいでしょうか。

竜は「獣」が海から這い上がって来るのを見つめているのです。

黙示録13:1
また私は、海から一頭の獣が上って来るのを見た。これには、十本の角と七つの頭があった。その角には十の王冠があり、その頭には神を冒涜する様々な名があった。

とうとう現れましたね。

竜が見つめる中、海から一頭の獣が這い上がって来ます。

その獣には「十本の角」と「七つの頭」がありました。

黙示録13:2
私が見たその獣は豹に似ていて、足は熊の足のよう、口は獅子の口のようであった。竜はこの獣に、自分の力と自分の王座と大きな権威を与えた。

使徒ヨハネが見た「大きな赤い竜」にも「七つの頭と十本の角」がありました。同じように「海から上って来た獣」にも「七つの頭と十本の角」があります。

それは、おそらく、竜が獣に「自分の力と自分の王座と大きな権威を与えた」ことを表しているのでしょう。

この「海から上って来た一頭の獣」とは、黙示録の証言によれば「人間」です。

黙示録13:18
ここに知恵が必要である。思慮ある者はその獣の数字を数えなさい。それは人間を表す数字であるから。その数字は六百六十六である。

今回は「666」の数字については学びません。ただ、それが「人間」を表す数字であると記されていることに注目してください。

つまり「獣」は「人間」だということです。

海から一頭の獣が上ってくるのですが、十八節には、その獣は人間であると書かれています。これは「世界を支配する独裁者」のことです。(十一節で、もう一匹の獣が出て来るんだが、十七節の「あの獣」とは第一の獣を指している)やがて、これから歴史に起こることです。世界的な政治不信の中で、世界を支配する者、独裁者が現れるのです。
世の終わりが来る 奧山 実著 マルコーシュ・パブリケーション

この「海から上がってくる獣」こそが「反キリスト」と呼ばれる人物です。

しかし、ここでダニエル書を学んだ皆さんは「はてさて?」と疑問を感じているかもしれませんね。

「海から上って来た一頭の獣」は、ダニエル書では「第四の獣」と呼ばれています。そして、私たちは、その「第四の国」とは「世界帝国」のことであると学びました。

ですから、ある注解者は「海から上って来る一頭の獣」とは「世界帝国」のことだと言います。

さて、混乱しないでください。

これは、別にどちらも間違っていないのです。

つまり「朕は国家なり現象」が起きているだけです。

その昔、フランス国王ルイ14世は「朕は国家なり」と言ったそうです。つまり「我こそは国家そのものだ」と豪語したのです。(諸説あり)

終わりの時代、反キリストも同じように言うでしょう。いえ、彼は「我こそは国家なり」ではなく「我こそは世界なり」と言うでしょう。

「獣の国」は「獣自身」です。反キリストは「獣の国そのもの」なのです。「獣」が滅びれば「獣の国」も滅びます。

ですから、この場合「海から上って来た一頭の獣」は「反キリスト」という独裁者(人間)であり、その独裁者が支配する「国そのもの」とも言えるのです。

そして、その背後には「竜」がいます。竜は、獣を通して「ついに」世界からの礼拝を勝ち取るのです。

少し復習しましょう

さて、この「海から上って来る一頭の獣」を理解するためには、ダニエル書を読まなければなりません。

ダニエル書は以前に学びましたが、少し復習しておきましょう。

ネブカドネツァル王が見た夢を思い出してください。

ダニエル2:32~33
その像は、頭は純金、胸と両腕は銀、腹とももは青銅、すねは鉄、足は一部が鉄、一部が粘土でした。あなたが見ておられると、一つの石が人手によらず切り出され、その像の鉄と粘土の足を打ち、これを粉々に砕きました。

バビロンの王ネブカドネツァルは、異常な輝きを放つ巨大な像の夢を見ました。

この「巨大な像」と「一つの石」が終末預言解釈の基礎となります。

巨大な像の各部位は、それぞれ「世界帝国」を表していましたね。

金の頭は「バビロン」です。銀の胸は「ペルシャ(メド・ペルシャ)」です。青銅の腹とももは「ギリシャ」です。鉄のすねと足(一部は鉄で一部は粘土)は「ローマ」です。

そして「人手によらず切り出された一つの石」とは「イエス・キリスト」を表しています。

イエス様は、再び、この地に来られて「その像の鉄と粘土の足を打ち、これを粉々に砕く」のです。

「砕かれる」のは「鉄と粘土の足の国」です。つまり、それが「反キリストの国」だということです。

そして、イエス様は「鉄と粘土の足の国」を砕かれるのですから、この時代に「再臨」されるのです。

さて、ダニエルの預言をもう少し見てみましょう。

今度は、ダニエルが夢を見ます。

ダニエルは「四頭の獣」の夢を見ます。

第一のものは「獅子のようで鷲の翼をつけて」います。これは、金の頭と同じ「バビロン」のことです。

第二にのものは「熊に似た獣」です。これは、銀の頭と同じ「メド・ペルシャ」のことです。

第三のものは「雹のような獣」です。これは、青銅の腹とももと同じ「ギリシャ」のことです。

第四のものは「恐ろしく不気味な獣」と呼ばれています。そして、それは鉄の国「ローマ」のことです。

ダニエル7:23
彼はこう言った。「第四の獣は地に起こる第四の国。これは、ほかのすべての国と異なり、全土を食い尽くし、これを踏みつけ、噛み砕く。

この箇所は、口語訳ではこのように記されます。

ダニエル7:23(口語訳)
彼はこう言った。「第四の獣は地上の第四の国である。これはすべての国と異なって、全世界を併合し、これを踏みつけ、かつ打ち砕く。

「第四の国」すなわち「反キリストの国」は「全世界を併合する国」です。

しかし、「鉄と粘土が混じり合わないように互いに団結すること」はありません。その一部は強く、一部はもろい国です。

この国は「ローマ帝国」です。反キリストの国は「ローマの背景」を持つ世界帝国です。

この国は「恐ろしく不気味な国」で「全土を食い尽くし、踏みつけ,かみ砕く」のです。

ダニエル7:22
しかしそれは「年を経た方」が来られるまでのことであり、いと高き方の聖徒たちのためにさばきが行われ、聖徒たちが国を受け継ぐときが来た。

反キリストの国が、どれだけ「狂暴」であっても、それはイエス様が再臨なさるまでのことです。

人手によらず切り出された石は、鉄の足を打ち砕きます。そうすると、巨大な像は「粉々」に砕け散るのです。

さて、なんとなく思い出せたでしょうか。

この「世界帝国」の流れを覚えていてください。これが、終末預言を解釈する基礎だからです。

ダニエル書と照らし合わせながら「13章」の学びを進めていきましょう。(次回からですね)

海から上って来た一匹の獣の目的は冒涜です

「海から上って来た一匹の獣」とは、最後の世界帝国であり、反キリストそのものです。

黙示録13:1
また私は、海から一頭の獣が上って来るのを見た。これには、十本の角と七つの頭があった。その角には十の王冠があり、その頭には神を冒涜する様々な名があった。

「海から上って来た獣」の頭には「神を冒涜する様々な名」が掲げられています。

「獣」と呼ばれる「反キリスト」は、とてもよいスローガンを掲げるはずです。世界中の人たちを興奮させるようなことを言うでしょう。それは「正義」に見えます。それは「平和の追求」に思えます。

しかし、彼の本当の目的は「神への冒涜」です。どんな「善い事」をしても、素晴らしい「政策」を実行しても、その行きつく先には必ず「神への冒涜」があります。

「反キリスト」の心には「竜の願望」が満ちています。滑らかな耳障りのよい言葉を話しても、それは「その心のうち」にあることを成し遂げるためです。

Ⅱテサロニケ2:4
不法の者は、すべて神と呼ばれるもの、礼拝されるものに対抗して自分を高く上げ、ついには自分こそ神であると宣言して、神の宮に座ることになります。

これが、竜であるサタンの目的です。

そして、不法の人である「反キリスト」は、全力で自分の父である「竜」の思いを成し遂げるのです。

Ⅱテサロニケ2:9~10
不法の者は、サタンの働きによって到来し、あらゆる力、偽りのしるしと不思議、また、あらゆる悪の欺きをもって、滅びる者たちに臨みます。彼らが滅びるのは、自分を救う真理を愛をもって受け入れなかったからです。

「不法の者」は、サタンの働きによって到来します。

それは、もちろん「大患難時代」のことです。

しかし、不法の秘密は「今も」働いていることを忘れないでください。

サタンは、今も、あわよくば聖徒さえも滅ぼそうと狙っています。

「あらゆる力、偽りのしるしと不思議、また、あらゆる悪の欺きをもって、滅びる者たち」を探し求めています。

愛する兄弟姉妹。

パウロは言っています。

「彼らが滅びるのは、自分を救う真理を愛をもって受け入れなかったからです」と。

つまり「真理への愛」を軽んじる者が惑わされ、滅びるのだということです。

真理とは何でしょう。

それは、いつも言うように「みことば」と「イエス様ご自身」のことです。

ヨハネ17:17
真理によって彼らを聖別してください。あなたのみことばは真理です。

ヨハネ14:6a
イエスは彼らに言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。

「みことばへの愛」と「イエス様への愛」がないところに「真理」はありません。

たとえ、どれだけ「善い事」を言っていても、そこに「みことばへの愛」と「イエス様への愛」がないなら、それは「惑わし」なのです。

マリアが「純粋で高価なナルドの香油」をイエス様に献げたとき、ユダの言った言葉を思い出してください。

ヨハネ12:4~5
弟子の一人で、イエスを裏切ろうとしていたイスカリオテのユダが言った。「どうして、この香油を三百デナリで売って、貧しい人々に施さなかったのか。」

ユダの言葉は「正しい」ものでした。貧しい人々への施しは「善い事」です。

他の福音書を読んでみますと、数人の弟子たちがユダの言葉に賛同していたことが分かります。

つまり「善い事」で覆われると、すべてが「もっともらしく」聞こえるということです。他の弟子たちも「ユダの真意」を、その場で見抜くことはできませんでした。

ヨハネ12:6
彼がこう言ったのは、貧しい人々のことを心にかけていたからではなく、彼が盗人で、金入れを預かりながら、そこに入っているものを盗んでいたからであった。

「善い事」のすべてが「みこころ」であるとは限りません。

「見えるもの」をすべての判断基準にしているならば、私たちも「惑わされて」しまうでしょう。

私たちは「善い事」ではなく「真理への愛」を求めましょう。

私たちは「みことば」を愛しましょう。何より「イエス様ご自身」を慕い求めましょう。

覚えてください。

弟子たちでさえ「マリアの行為」を責めたのです。ですから、あなたの「真理への愛」を誤解されても恐れてはなりません。それは、必ず後に明らかにされます。

終わりの時代には「惑わす者」が多く現れます。

彼らは「善い事」を言うでしょう。明らかに「悪い事」を言う人に、騙される聖徒はあまりいないと思うのです。「もっともらしい事」を言うからこそ騙されてしまうのです。彼らは「しるし」や「不思議」も行います。

「海から上って来た獣」は、見た目は「不気味な獣」に見えはしないでしょう。

彼は「光の御使い」のように現れます。多くの人が、彼を褒めたたえます。「このような人は、他にいない」と絶賛するのです。

しかし、主なる神の御目から見れば「不気味な獣」にすぎません。その「麗しさは偽り、美しさは空しい」のです。

「反キリスト」は、確かに「高く上げられる」ように見えます。全世界が彼の支配下に置かれます。

しかし、それは「束の間」のことです。彼の活動期間は「四十二か月」です。つまり「一時と二時と半時」です。

ダニエル7:25b
彼は時と法則を変えようとする。聖徒たちは、一時と二時と半時の間、彼の手に委ねられる。

反キリストたちは「時と法則」を変えようとするでしょう。

しかし、本当に「時と法則」を支配しておられるのは、唯一の主なる神だけです。

反キリストが、どれだけ「自分のいのちを延ばそう」としても、それは不可能なのです。サタンは、主なる神の物まねをしますが、いのちを与えることは決してできません。サタンは、決して全能ではないことを忘れないでください。

私たちは「いのち」を与えられる方を見上げます。「いのちそのもの」である方を信じます。

見えるものに誤魔化されてはなりません。

私たちは「真理」すなわち「みことば」と「イエス様」を慕い求めます。愛をもって受け入れます。

私たちは、滅びる者ではなく「信じていのちを保つ者」です。

次回は、本論に入りましょう。ダニエル書を併用しつつ学びを進めていきたいと思います。

シャロームを祈ります。