黙示録11:15
第七の御使いがラッパを吹いた。すると大きな声が天に起こって、こう言った。
「この世の王国は、私たちの主と、そのキリストのものとなった。主は世々限りなく支配される。」
二人の証人は天に上ります
主は「二人の証人」に「1260日」という活動期間を許されました。
主が「赦された」期間、彼らは「無敵」です。どんな権力者も太刀打ちできず、どのような武器も役に立ちません。
しかし、1260日が終了した途端、底知れぬ所から上って来る獣によって殺されてしまいます。
「地に住む人々」は「獣」の方が「二人の証人」よりも強いと思うでしょう。そして「獣」を称えるでしょう。
しかし「二人の証人」が殺されたのは「獣」が強かったからではありません。
彼らが「証言を終えた」からです。
私たちは、今一度「いのち」を握っておられる方を見上げましょう。
彼らの「いのち」は、主が「許された」1260日の間、完全に守られました。彼らは「証言」するという使命のために生かされていたのです。
そして、その使命を終えたので「死」を迎えたのです。それは「御父の許し」によるものでした。
聖徒にとって「死」は「終わり」を意味しません。
聖徒の勝利は「死」の先にあります。
私たちの主イエスは「よみがえりの主」です。イエス様は死なれました。しかし、今、生きておられます。
私たちも、携挙されないならば、必ず「一度」死ぬでしょう。しかし、必ず「よみがえり」ます。
二人の証人は「天からの大きな声」を聞きます。
「二人は」と記されていますから、この「大きな声」を聞いたのは「彼ら」だけであったのかもしれません。
「ここに上れ」と言う声は、使徒ヨハネが聞いた声と同じであっただろうと思います。つまり、イエス様が呼びかけられたのだろうと思うのです。
二人は、そのまま、雲に包まれて天に上ります。
「彼らの敵たち」はそれを見るのです。全世界が「目撃者」となるでしょうが、使徒ヨハネは特に「イスラエルの人々」が見るということを強調しているようです。
二人の証人が雲に包まれて天に上っていくのと同時に、地において「大きな地震」が起こります。、ただし、それは世界規模の地震ではなく「イスラエル」に起こる地震のようです。
人々が「天を見上げて」いるときに「地が揺れ動く」のです。
それは、とても激しい地震です。「都」つまり「エルサレム」の十分の一が崩壊する規模の地震です。「七千人」の人がいのちを失います。
この地震で残った者たちは「恐れを抱き」ます。
「残った者たち」とは、エルサレムで生き残った者たちと言う意味だと思います。
残った者たちは「天の神」に栄光を帰します。彼らは「これは、まさに神のわざだ」と認めるのです。
二人の証人は生き返り、雲に乗って天に上がっていきます。「油注がれた者」とは「メシア」ということばですから、二人の証人もメシアとして昇天したのです。そこで、大地震が起きます。生き残った人々は恐怖に満たされ、天の神をあがめました。地上の残っている人々が神様を呪っているのが黙示録ですが、この箇所だけは「天の神をあがめた」と記されています。
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「二人の証人」は、もちろん「救い主そのもの」ではありません。
けれど、ヨナがメシアの「しるし」であったように、彼らもメシアの「しるし」であることは確かでしょう。
「二人の証人」は「証言」によって「証」しましたが、彼らの存在そのものが「証」であったことは間違いありません。「二人の証人」は、主が与えられた「しるし」です。
彼らの「昇天」に伴う大地震は、天からのものです。彼らのために「天は開かれ」「地は揺れ動いた」のです。
エルサレムの「残された者たち」にとって、それは衝撃的なできごとでした。
全世界は、以前として「反キリストに属するもの」です。
しかし、おそらく、この時、エルサレムにおいて「ほんの少し覚醒」が起こるのではないかと私は思います。
つまり主なる神は、神の選びの民であるユダヤ人の救霊のために二人の証人を用いたのです。しかし悔い改めませんでした。しかし、これら一切のことを通して、ユダヤ人たちは「恐怖に満たされ、天の神をあがめた」のです。つまり心を開き始めたのです。このように患難期はユダヤ人の救いにとって極めて重要であることを覚えておきましょう。
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エルサレムの人々は「天の神」に栄光を帰します。
イスラエルは「神の民」として目覚めていくのでしょう。その「目覚め」には「迫害」が伴いますが、それでも、やはり「こうして、イスラエルはみな救われる」と言われていることが成就していくのでしょう。
第二のわざわいが過ぎ去りました
さて、少し頭を整理してみましょう。
今、私たちは「第二のわざわい」が過ぎ去ったのを見ました。
覚えておられるでしょうか。少し復習しましょう。
屠られた子羊は「七つの封印の巻物」を受け取られました。そして、その封印を一つ一つ解かれます。
黙示録11章の時点では「すべての封印」が解かれています。
七つ目の封印が解かれたとき「ラッパ」を与えられた七人の御使いが登場しました。
彼らは、順番に一人ずつラッパを吹き鳴らします。
第一から第四のラッパは「自然災害」のようなものを解放しました。地の三分の一が焼け、すべての青草が焼かれます。「苦よもぎ」と呼ばれる星が地の水源に落ちます。太陽や月、星の三分の一が暗くなります。
第五の御使いがラッパを吹く前に、鷲が告げることを使徒ヨハネは聞きます。
残りのラッパは「三つ」です。第五と第六と第七のラッパが残っています。
そして、黙示録は「残りの三つのラッパ」のことを「三つのわざわい」と呼んでいるのです。
第五のラッパは「第一のわざわい」です。
底知れぬ所に通じる穴が開かれ「いなご」が地上に出てきます。額に神の印のない人々は、この「いなご」によって「五か月間の苦しみ」を受けます。それは「死んだ方がマシだ」と思うような苦しみです。しかし、なぜかは分かりませんが、彼らは「死ぬことができない」のです。
第一のわざわいが過ぎ去った後、すぐ「第二のわざわい」がやって来ます。
第六のラッパが吹き鳴らされると「第二のわざわい」が起こります。
大河ユーフラテスにつながれていた四人の御使いが解き放されます。二億の騎兵が現れ「人間の三分の一」を殺します。
地には「わざわい」があふれます。しかし、それでも人々は悔い改めることをしません。
悔い改めない人々に対して、主は「二人の証人」を送られます。
「二人の証人」の「証言」は、全世界に流れます。しかし、それは特に「イスラエル」のための証言です。
黙示録11章に登場する「二人の証人」たちが伝えたことを、考えてみてください。二人の証人は三年半の間、「イエス・キリストは、創造主でありメシアであり救い主です。この方を信じる者は必ず救われます」と語ります。そして、1260日、すなわち三年半が終わると殺され、その三日半後に生き返って昇天していきます。そのようなことを目の当たりにすれば、多くの人はひざをかかがめ「このことが本当だとは知らなかった。ごめんなさい、神様。イエス様を信じます!」と苦境の中でなら素直に悔い改めるのではないかと思います。ところが、ユダヤ人への伝道はそう簡単にはいきません。彼らはもの凄く頑なな人々で、素直さがない気質の人々です。「あの宣教のことばは本当だったのか。では早速調べてみよう!」と、自分で調べない限り信じません。他人のことばを聞いただけで「はい、信じます」と素直に信じるような人たちではないのです。それゆえに、約1900年間の世界離散の中においても、異邦人と同化するようなことはありませんでした。その彼らに、真の悔い改めがやって来ます。
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「二人の証人」は「底知れぬ所から上って来る獣」に殺され、三日半の後に復活します。
主は、彼らを「天に上らせ」ます。その後、エルサレムに大地震が起こります。
エルサレムの残りの人々に「少し覚醒」が起こりますが「全面的な悔い改め」は、まだ先のようです。
ここまでが「第六のラッパ」すなわち「第二のわざわい」です。
恐ろしいことが、次々と起こったように思えますが、まだ「終わり」ではありません。
まだ「第七のラッパ」つまり「第三のわざわい」が残っているのです。
それは「すぐに」来ます。
そして「第三のわざわい」が始まると「本当の終わり」が来るのです。
第七の御使いがラッパを吹くと…
第七の御使いが「ラッパ」を吹きました。
この時、使徒ヨハネは、再び、「天」の視点に戻っています。
第七の御使いがラッパを吹くと…
まず「大きな声」が天に起こります。
「大きな声」は、原語では複数形です。つまり「声々」です。
子羊が「第七の封印」をといたときには、天に「半時間ばかり」の静けさがありました。
しかし「第七のラッパ」が鳴り響いたときには、口々に叫ぶ「大きな声々」が響き渡ります。
天にいるすべての者が叫ぶのかもしれません。四つの生き物も、力ある御使いも、24人の長老も、みなが一斉に声を上げるのでしょう。
様々な声が響き渡りますが、彼らはみな「同じこと」を叫びます。
「この世の王国は、私たちの主と、そのキリストのものとなった。主は世々限りなく支配される」
第七のラッパは「第三のわざわい」の合図でもありますが、それだけではありません。
第七のラッパは「勝利の宣言」でもあるのです。
8章で始まったラッパの吹き鳴らし、さばきは今、完成した。しかし、第七のラッパ自体はさばきではなく、反キリストに対するキリストの勝利の大宣言と全天の喜びの表明である。
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地には、これから「七つの金の鉢のわざわい」が注がれます。
サタンは全力で、文字通り「死に物狂い」で暴れ回るでしょう。
最後の三年半の間、反キリストは「聖徒に戦いを挑んで打ち勝ち」ます。
獣たちは、思うがままにふるまい「神の聖所」も汚されます。神の御名は冒瀆されます。聖徒は殉教します。
しかし、それでも「主はすでに勝たれた」「すべてはキリストのものとなった」と天は叫ぶのです。
地上では、すでに述べたような自然災害が荒れ狂っています。この世は神の王国になったという宣言が出されていても、一見したところでは、まだサタンの強い支配のもとにあるとしかいいようがない状態です。しかし、封印はすべて解かれ、世界は正当な所有者のものになるという神の勝利が宣言されるのです。
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「天」の視点で見るということが、最後の最後まで必要なのです。
今、見えていることが「いかなるもの」であったとしても、私たちは「天」の宣言に「同意」します。
イエス様は弟子たちに言われました。
イエス様は弟子たちが「平安を得る」ために、最後のメッセージを語ってくださいました。
そして言われます。
「勇気を出しなさい」と。
弟子たちには本当に「勇気」が必要でした。彼らはこれから「世の苦難」を目にすることになるのです。希望そのものであるイエス様が、捕らえられ、引きずり回され、十字架につけられるのを見なければなりません。彼らは、主イエスが死なれ、墓に葬られるのを見なければなりません。
本当に弟子たちには「勇気」が必要でした。しかし、彼らは、まだ聖霊を受けてはいなかったので、自力で「勇気」を奮い立たせるのは難しかったのです。彼らは「勇気」を出すことができず「臆病」になって閉じこもってしまいました。
しかし、愛する兄弟姉妹。
私たちは、父の約束である「聖霊」をすでに受けているのです。
ですから、私たちは「勇気」を出しましょう。
確かに「この世の王国」は、今、サタンの支配下にあるように見えます。確かに、私たちは、この世において「苦難」があります。けれど、天においてイエス様は「わたしはすでに世に勝った」と宣言されているのです。
目の前の「苦難」に同意するのではなく、天の宣言に同意しましょう。
私たちには「聖霊」がおられるのです。聖霊こそ、私たちの「勇気そのもの」です。
ユダヤ人たちを恐れて部屋に閉じこもっていた弟子たちが、ペンテコステの日に堂々と証したように、私たちも御霊に満たされて勇気をもって証するのです。
私たちは「自分を守るため」の信仰から「領土を拡大するため」の信仰へと移行しなければなりません。
私たちは、閉じこもって、ただ安全を確保するような生き方から脱出しなければなりません。
今、私たちが生きている「この世の王国」は、確かに悪い者が支配しているように見えます。
しかし、それはすでに「キリストのもの」なのです。
イエス様は、私たちに「御国が来ますように」と祈りなさいと教えてくださいました。
「御国が来ますように」とは、いつも言っているように原語では「命令形」です。
私たちは「来たれ、御国」と宣言しなければなりません。
イエス様は、私たちに「攻撃的な祈り」を教えてくださったのです。私たちは、ただあわれみのゆえに、かろうじて生かされているような存在ではありません。
あなたは、「神の大使」として、この地に任命され生かされているのです。ゆえに、あなたには「つなぐ」権威と「解く」権威が与えられています。
「来たれ、御国」という宣言は、天の宣言への「同意」の表明です。
この地は「キリストのものです」と、天が言うならば、私たちも、この地においてそう宣言するのです。
今、見えている現状が「いかなるもの」であっても、私たちは「見えているもの」に同意することはしません。「見えているもの」はすべてではないからです。
世界中が「それは不可能だ」と言っても、私たちはその言葉に同意しません。天が「神にとって不可能なことは一つもない」と言うならば、私たちは天に同意するのです。
「第三のわざわい」が起こる前に、使徒ヨハネの視点は再び「天」に戻っています。「第三のわざわい」の前に、ヨハネは天の宣言を聞きます。そして、天の礼拝を見るのです。
この世において「苦難」は確かにあります。わざわいも起こるでしょう。聖徒も苦難に遭遇します。
しかし、愛する兄弟姉妹。
勇敢でありましょう。イエス様は「勇気を出しなさい」と言われました。私たちは「力と愛と慎みの霊」を受けているのです。
天を仰いで生きましょう。
天で何が語られているのかを聞きながら歩もうではありませんか。
この世のささやきを聞く前に、天の声を聞きましょう。敵が、あなたへ偽りを吹き込む前に、天の声を聞くのです。私たちは、天に同意して歩みます。
「御国よ、来たれ」とあなたが宣言するとき、天が開かれることを信じなさい。あなたは「天の代弁者」なのです。自信を持って、大胆に宣言を続けてください。
私たちは、日々、天の声に同意して歩みましょう。
礼拝をささげましょう。日々、御前にひれ伏し、主だけを仰ぎましょう。そうすれば「天の視点」を得ることができます。そうすれば、私たちの生き方は確実に変えられるでしょう。
シャロームを祈ります。

