【黙示録1章9節~10節】主は、パトモスという島でヨハネに語られました

再臨を待つ

黙示録1:9
私ヨハネは、あなたがたの兄弟で、あなたがたとともにイエスにある苦難と御国と忍耐にあずかっている者であり、神のことばとイエスの証しのゆえにパトモスという島にいた。私は主の日に御霊に捕らえられ、私のうしろにラッパのような大きな声を聞いた。

パトモスという島で

黙示録の1章1節~8節は、本で言うならば「序文」とか「はじめに」という部分に当たります。

非常に重要な「序文」であって、そこに重要なメッセージが込められていました。何度も、読み返すべき箇所であることは間違いありません。

しかしながら、いつまでも同じ章にとどまっているわけにもいきませんので、今回で1章の学びは終わりたいと思いましたが無理でした(笑)

次回で必ず終わります。どうぞご容赦ください。

さて、使徒ヨハネも「序論」を書き終えて「本論」に入ろうとしています。

まず、今、自分がどのような状況に置かれているかを説明しています。

黙示録1:9
私ヨハネは、あなたがたの兄弟で、あなたがたとともにイエスにある苦難と御国と忍耐にあずかっている者であり、神のことばとイエスの証しのゆえにパトモスという島にいた。

「私ヨハネ」という書き方に、少しダニエルを思い出しますね。

使徒ヨハネは「パトモスという島」にいました。

この島はミレトス沖に点在する群島の一つで、周囲95㎞ほどの火山島だ。ローマ帝国はここを政治犯の流刑地としていたのだった。
ヨハネの黙示録を読もう 村上 伸著 日本キリスト教団出版

パトモス島は、今では一般の人も訪れる有名な観光地です。旅行会社の宣伝文には「エーゲ海に浮かぶ美しい島」「エーゲ海のエルサレム」「神秘の力漂う島」などと書いてありました。

しかし、流刑地であったころのパトモス島は、確かにエーゲ海に浮いてはいましたが、美しくはありませんでした。

そこは、太陽が強烈に照りつける茨と岩の島でした。

食料にも水にも乏しく「流刑地」としてふさわしい島であったのです。

遠方の地に罪人を送ることは、ローマ帝国の刑の一つです。それは「最も重い刑」ではありませんでした。

ローマ帝国は、犯罪人として多くの聖徒を処刑しました。それは、残酷な方法で処刑したのです。

この当時、使徒たちはみな殉教していました。イエス様の12使徒の中で残っていたのはヨハネだけでした。

ヨハネだって処刑されていてもおかしくはなかったのです。初代教父たちの伝承によれば、使徒ヨハネも処刑されたことがあったと言います。しかし、ヨハネは殺されても死ななかったと言われています。

その真偽はどうであれ、使徒ヨハネが生かされ「流刑」にあったことは、主なる神の御計らいでした。

ローマの流刑地では、比較的、自由行動が許されたようです。もちろん、市民権は剥奪され、財産のほとんどは没収されますが、生活に必要な程度は残されたと言われます。また、身体的な苦痛を与えられることもありませんでした。

しかし、普通の思想犯、政治犯ではない「キリストを宣べ伝えた極悪人」である使徒ヨハネへの扱いは少し違っていたようです。

伝承によれば、使徒ヨハネは、他の人と隔離され、島の採石場で強制労働をさせられていたということです。そうまでして、流刑にする意味は何だったのでしょう。処刑する方が手っ取り早いように思えます。となると、伝承による「殺しても死ななかった」が真実味を帯びてきますね。

それはさておき…

当時90歳前後であっただろう使徒ヨハネに強制労働は辛すぎます。食料も水も乏しい中、ヨハネの味わった苦しみは想像を絶します。

黙示録は、気力に満ち溢れ、心身ともに充実した状態のヨハネに啓示されたのではありません。

体力が衰え、先のことなど何も見えないような状態に置かれたヨハネに啓示されたのです。

私ヨハネはあなたがたの兄弟で、苦難と御国と忍耐にあずかっている者

ヨハネは、晩年、エペソにある教会で牧会をしていたと言われています。エペソからパトモス島までの距離は、約80㎞ぐらいだそうです。

当時の80㎞がどのようなものなのかは分かりませんが、距離だけではなく、ヨハネにとって「パトモス島」は世界の果てのように思えたのではないでしょうか。

ヨハネの心には、残してきた聖徒たちのことが常にあっただろうと思います。

老使徒ヨハネは、教会の聖徒を「我が子よ」と呼んでいたようです。

教会から去っていく人の背中に向かって、「我が子よ、愛する我が子よ」と泣きながら叫んでいたという伝承を読んだことがあります。

ヨハネにとって、教会の聖徒は「家族」なのです。どこにいようと「兄弟」なのです。

「私ヨハネはあなたがたの兄弟で」という言葉には重みがあります。

使徒としてでもなく、長老としてでもなく「兄弟」として、ヨハネは聖徒を慕っているのです。

そして、続けて言います。

「あなたがたとともにイエスにある苦難と御国と忍耐にあずかっている者であり」

ヨハネは自分の苦難を「特殊なこと」「特別なこと」だとは考えていませんでした。

「あなたがたとともに」

残された聖徒も、流刑にあった自分も、そして、すでに殉教した仲間も「ともに」同じように「イエスにある」のだと考えているのです。

「ともに」と訳されている言葉は「共に分け前にあずかる」「共同参与者」「仲間」などとも訳せます。

「イエスにある苦難と御国と忍耐」には、すべての聖徒があずかっています。

「苦難」とは、「圧迫」「患難」「押しつけること」などと訳せます。もともとは「体の上に大きな石が乗った重圧感」を意味していました。

「苦難と御国と忍耐」とヨハネは言います。

「苦難」をただ「忍耐」するのは難しいことです。それは「我慢比べ」のようなものです。必ずいつか重圧に押しつぶされてしまうでしょう。

しかし「苦難」と「忍耐」の間に「御国」を挟んだとしたら…

私たちはただ「苦難」だけにあずかっているのではありません。

私たちは「御国」にも「ともに」あずかっているのです。

聖徒の忍耐は「我慢」ではありません。石のように丸まって、何も感じないように心を堅くし、時が過ぎ去るのを待つというような忍耐ではありません。

「忍耐」と訳された語は「不屈」「堅忍」「苦難を耐え忍ぶ」などとも訳せます。

しかし、ただ我慢する、辛抱するというより、もう少し積極的な言葉です。

「困難に立ち向かいながら耐え忍ぶ」というような意味が含まれています。

私たちは「立ち向かい」ながら「耐え忍び」ます。この「忍耐」は必ず「栄光をもたらす」と信じて立つのです。

私たちは信じています。

私たちには「栄光の望みであるキリスト」がおられます。

この方は、今、私のすべてですが、後に、私はこの方と「顔と顔を合わせて会う」のです。

ヘブル11:19
私たちが持っているこの希望は、安全で確かな、たましいの錨のようなものであり、また幕の内側にまで入っていくものです。

苦難の中での「たましいの錨」は「希望」です。

私たちの「イエスにある」という「望み」は、私たちを「たましいの難破」から救います。

ヨハネは「御国」にあずかっているのだと知っていました。一人ではなく、多くの兄弟姉妹とともに「御国」にあずかっていることを信じていました。

聖徒は、たとえ隔離されていても「孤独」ではありません。「ともに分け前にあずかる」兄弟姉妹がいるのです。それは「御国」のつながりです。ともに御国にあずかっている絆です。

ゆえに、彼は「苦難」のときに堅く立ちつつ「忍耐」することができたのです。

ヨハネは礼拝していました

黙示録は「希望の書」であると言われます。また「礼拝の書」とも呼ばれます。私は「礼拝の書」という呼び方が好きです。

どこにも望みを見出せないような状態に置かれても「御国」の希望が消え去ることはありません。

むしろ、そこから「御国は拡大」していくのです。

あなたは信じることができますか?

あなたが「自分だけだ」「一人ぼっち」だと感じつつも、そこで「御国が来ますように」と祈る時、あなたがいるその場所から「御国が拡大している」ということを。

使徒ヨハネは、おそらく、そのことを強く信じていたと思います。

使徒ヨハネは、たとえ、もう二度と「我が子たち」に会えないとしても、たとえ、この最果ての島でいのちが尽きるかもしれないと感じていても、それでも希望を失うことはなかったでしょう。

それは、彼が、このような島に一人でいても「礼拝」をささげていたことから分かります。

黙示録1:10
私は主の日に御霊に捕らえられ、私のうしろにラッパのような大きな声を聞いた。

「主の日」については様々な意見があります。興味深いテーマではありますが、ものすごく大切だとは思いません。代表的な3つの説を簡単に紹介しておきます

一般的には「週の初めの日」のことであると言われます。つまり、イエス様の復活を記念して集まるようになった「日曜日」のことです。

また、当時の「皇帝の日」のことだという説もあります。「ローマ皇帝の特別な日」ということです。

そして、もう一つは「終わりの日」のことだという説です。つまり、旧約聖書に言及される「主の日」のことです。

ヨエル1:15
ああ、その日よ。主の日は近い。全能者による破壊の日として、その日は来る。

使徒ヨハネは、終りの時代の「主の日」に御霊に捕らえられたということです。

ちなみに、私は、個人的には「主の日」とは「主の定められた日」「主の介入された日」のような意味だと考えています。

いずれにしても、その「主の日」に使徒ヨハネが礼拝をささげていたことは確かでしょう。

そのヨハネを「御霊が捕らえられた」のです。

そして、そこからすべてが「変わった」のです。すなわち、ヨハネの視点が「天から」のものに変わったということです。そうなると、世界は全く違って見えます。

いつの時代でも、どのような状況であっても「鍵」は礼拝であると私は思います。

礼拝は御霊の中に入る鍵です

しかし「御霊に捕らえられた」とは実際にはどういうことなのでしょう?

ある人はこの箇所を「御霊になる」と訳しています。

口語訳では「御霊に感じ」と訳されます。

現代語訳では「御霊の神に動かされ」と訳されます。

旧約聖書において預言者に「主が臨まれた」という場合は「ハーヤー(הָהיָ)」というヘブル語が使われます。

これは「人にはどうすることもできない状態」を表しているようです。つまり、主の側から一方的に「臨まれる」のです。

使徒ヨハネに起こったことは、この「ハーヤー(הָהיָ)」に近いのかもしれません。

しかし、同時に「御霊に」のギリシャ語の意味には「御霊の中へ入る」というようなニュアンスが含まれています。

私たちは、礼拝によって「御霊の中に入る」「御霊に飛び込む」ことができます。礼拝とは、すべてを「主に帰すること」です。

私たちは、自分自身を「聖なる献げもの」としてささげます。それは、「御霊の中に」すべてを投げ入れるようなことです。

そして、そのような私たちを、御霊の方でもまた「捕らえて」くださるのです。

私は礼拝します。

「神が神であるがゆえに」礼拝します。

それは「感情」には左右されないことです。私の感情で、主なる神の価値が上がったり下がったりすることなどあり得ないからです。ただ、礼拝は、私の「感情」に影響を及ぼします。

礼拝は「状況」にも左右されません。しかし「状況」に影響を及ぼします。使徒ヨハネは「苦難」の中で「忍耐」しながら礼拝をささげました。

そして、その彼を「御霊が捕らえられた」のです。

そこには「相互関係」があります。ヨハネは「礼拝」により御霊の中へ飛び込み、御霊はヨハネを「捕らえられ」ます。

私たちは、いつでも「捕らえられ」使徒ヨハネと同じような経験をするとは限りません。

しかし、いつでも「御霊の中に入る」ことはできるのです。

私たちは「礼拝」をささげるとき「御霊の中にいる」のです。

そもそも「まことの礼拝者」のささげる礼拝は「御霊によって」「御霊とともに」ささげられるものです。

御霊がおられなければ、私たちは「まことの礼拝者」にはなれません。

「御霊の中に入る」ことは、私たちに、必ず、変化を及ぼします。

私は人々が「私は御霊の中にいました」と告白するのを聞くのが好きです。それは現状を打破する霊的な恵みにあずかったことを意味します。感情的な変化を体験するだけではなく、霊的な力が流れるのです。
地震 ー終末のミステリー ジャック・ヘイフォード著 マルコーシュ・パブリケーション

礼拝は「現状を打破する霊的な恵み」をもたらします。

主が語られたのはパトモスにいたヨハネです

使徒ヨハネは、なぜ「生かされた」のでしょう。

なぜ流刑に処され「パトモス島」に置かれたのでしょう。

この後、使徒ヨハネは解放されるのです。そして、再びエペソに戻ります。彼は、エペソで生涯を終えるのです。

であるなら、なぜ、主は「黙示録」をエペソで啓示されなかったのでしょう。

私には、その理由はわかりません。

しかし、主はすべてをご存知です。「パトモス島」でなければならない理由があったのでしょう。私はそう信じます。

私たちは、時々「なぜここにいるのだろう」「なぜこのような事が起こったのだろう」と思います。

「なぜ」の答えは、いつも「分からない」です。

しかし「分からない」けれど「信じる」ことはできるのです。

主は、あなたを決して見捨てられません。辛い目に遭っているのは「見捨てられたから」ではないのです。

それは、使徒ヨハネを見れば分かります。

主は、世界の果てのように感じる「パトモスという島」にもおられました。

ヨハネにとって、そして私たちにとって「とてつもなく重要な」メッセージを携えて来られました。

主の御手の届かない場所などありません。

そして、主が用いることのできない聖徒もいないのです。

主は「パトモスという島」にいた「90歳前後」の孤独なひとりの聖徒を訪れ、そして啓示を託されました。

ヨハネが「黙示録」をパトモス島で記したという事実は驚くべきことではありませんか?

愛する兄弟姉妹。

あなたが「どこにいても」「どんな状況でも」、主があなたを見捨てられることは決してありません。

そして、また、どれほど孤独だと感じていたとしても「ともにイエスにある苦難と御国と忍耐にあずかっている」私たちがいるという事実も変わりません。

どうぞ覚えてください。

あなたは「御霊の中に入る」ことができるということを。

見えているすべてが「不毛の地」のようでも、一人も味方がいないように思えても、それでも「御霊の中に入る」ならば「現状を打破する霊的な恵み」が流れます。

礼拝をささげましょう。

そこから「御国」が拡大します。「御霊」によって一つとされた人々が、一緒に「苦難」と「忍耐」にあずかっています。

主は、そこにおられます。

どんなときも、どこででも「礼拝」をささげましょう。

使徒ヨハネが「パトモスという島」にたという事実は、私たちを大いに励まします。

そこで兄弟姉妹を慕い、希望を失わず、主を礼拝していたヨハネを見て、私もそうでありたいと強く思うのです。

「礼拝」が鍵であると強く感じます。

どこにあっても「礼拝」をささげるという特権を用いる限り、私たちから希望が失われることはありません。

どこにあっても「天は開けて」います。

どこにあっても「恵み」は注がれているのです。

御霊によって礼拝をささげましょう。

そして「御霊の中へ」と飛び込んでいきましょう。

祝福を祈ります。