【黙示録1章5節~8節】確かな証人、死者の中から最初に生まれた方、地の王たちの支配者であるイエス・キリスト

再臨を待つ

黙示録1:5~6
また、確かな証人、死者の中から最初に生まれた方、地の王たちの支配者であるイエス・キリストから、恵みと平安があなたがたにあるように。私たちを愛し、その血によって私たちを罪から解き放ち、
また、ご自分の父である神のために、私たちを王国とし、祭司としてくださった方に、栄光と力が世々限りなくあるように。アーメン。

恵みと平安があなたがたにあるように

三位一体の聖なる神から恵みと平安があなたがたにあるようにと、使徒ヨハネは記しています。

「今おられ、昔おられ、やがて来られる方」と「御座の前におられる七つの御霊」からの恵みと平安を前回学びました。

今回は、最後に紹介されている方、私たちの主イエスについて学びます。

黙示録1:5
また、確かな証人、死者の中から最初に生まれた方、地の王たちの支配者であるイエス・キリストから、恵みと平安があなたがたにあるように。

使徒ヨハネは、イエス様を「三つの肩書き」で呼んでいます。

まず、主イエスは「確かな証人」と呼ばれます。以前の新改訳では「忠実な証人」と訳されています。

「確かな」とは、「腹心の」「信用できる」などとも訳せます。

ヨハネ1:18
いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。

イエス様は、地上において「神を説き明かされ」ました。

主は、地上で「預言者の働き」をされました。

父なる神様は、御子イエスについて言われました。

マタイ17:5
彼がまだ話している間に、見よ、光り輝く雲が彼らを覆った。すると見よ、雲の中から「これはわたしの愛する子。わたしはこれを喜ぶ。彼の言うことを聞け」という声がした。

御父は、イエス様について「彼の言うことを聞け」と言われたのです。

私たちは、イエス様の言われることを聞かなければなりません。

この方は「確かな証人」だからです。

Ⅱテモテ2:13
私たちが真実でなくても、キリストは常に真実である。ご自分を否むことができないからである。

私たちは、自分を信じることは出来なくても、イエス様を信じることはできます。

私は、自分のうちに真実がないことを知っています。しかし、イエス様は真実です。この世のどこにも真実が見つからない時でも、この方だけは真実です。

イエス様は「御父の愛」の証人です。神は「愛」であることを、その身をもって明らかにしてくださいました。

ただ言葉をもって「愛しているよ」と言われただけでなく、事実、死んでくださったことにより明らかにしてくださったのです。

ローマ5:8
しかし、私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死なれたことによって、神は私たちに対するご自分の愛を明らかにしておられます。

十字架の死は、神の愛の証です。これ以上、確かな証拠はありません。

私たちは、誰も「神は私を見捨てた」「神は私を愛しておられない」と言うことはできません。

覚えてください。

黙示録は、この方、つまり「死によって神の愛を明らかにしてくださった方」からの啓示です。

私たちは、この方が「恵みと平安があなたがたにあるように」と言われるとき、その御思いを疑うことはできません。

イエス様は、心から「恵みと平安」を与えたいと望んでくださっています。

死者の中から最初に生まれた方に続く者

イザヤ5:4
わがぶどう畑になすべきことで、何かわたしがしなかったことがあるか。なぜ、ぶどうがなるのを心待ちにしていたのに、酸いぶどうができたのか。

「ぶどう畑」とは、イスラエルのことです。

主は、ぶどう畑であるイスラエルのために「ありとあらゆること」をされました。

石を除き、やぐらを立て、ぶどうの踏み場を造り、ぶどうがなるのを心待ちにしておられました。

「特選のぶどう」を植えたのです。甘い良い香りのする実を楽しみにしておられました。

しかし、待ったあげく実ったのは「酸いぶどう」であったのです。

「酸いぶどう」とは、酸っぱいぶどうというより「腐ったぶどう」のことのようです。

「腐った」とは「異臭を放つ」ということです。

イスラエルは「異臭を放つ国」になったのです。

イザヤ5:7
万軍の主のぶどう畑はイスラエルの家。ユダの人は、主が植えたもの。主は公正を望まれた。しかし、見よ、流血。正義を望まれた。しかし見よ、悲鳴。

この箇所を読むと、心が痛くなります。

もちろん、これはイスラエルに言われていることです。しかし、私にまったく関係がないとは言えません。

イエス様は「死者の中から最初に生まれた方」であると使徒ヨハネは紹介しています。

イエス様は、死んでよみがえられました。

それは、いったい何のためにでしょう?

ローマ4:25
主イエスは、私たちの背きの罪のゆえに死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられました。

イエス様がよみがえられたのは、私たちが「義と認められるため」です。

すべての罪を情欲や欲望とともに、十字架につけ葬り去ってくださいました。

ローマ6:4
私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、ちょうどキリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、新しいいのちに歩むためです。

イエス様は、罪を葬られ、ご自身は「死者の中から最初に生まれた方」となってくださいました。

それは、私たちが「義と認められ」「新しいいのちに歩むため」です。

Ⅱコリント5:15
キリストはすべての人のために死なれました。それは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためです。

御父が「キリストの死によって愛を明らかにされた理由」がお分かりになるでしょう?

義と認められ、新しいいのちに歩む者に、御父が期待しておられるのは「もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きる」ことです。

「新しいいのちに歩む」とは「キリストのうちにある」ということです。

Ⅱコリント5:17
ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。

もはや、私は私自身のためには生きません。古いものは過ぎ去ったのです。

もし、私が「自分のために生きている」のなら、私は「新しいいのちを歩んではいない」のです。

「自分のために生きている」なら「古いものは過ぎ去って」いないのです。

ヨハネ15:8
あなたがたが多くの実を結び、わたしの弟子となることによって、わたしの父は栄光をお受けになります。

いつの時代も、御父が期待しておられるのは「実」です。それは、良い香りを放つ実です。

御父が期待しておられるのは、私たちが「死者の中から最初に生まれた方」に続く者とされることです。

イエス様は、黙示録を「しもべたち」に啓示されたのです。

私たちは「「死者の中から最初に生まれた方」に続く者でしょうか?

イエス様は、来臨の時のよみがえりに至るまで、すべてのことにおいて、ご自身の後に続くようにと、私たちを招いておられるのです。

地上の王たちの支配者として

イエス様は「地の王たちの支配者」です。

黙示録1:7
見よ、その方は雲とともに来られる。すべての目が彼を見る。彼を突き刺した者たちさえも。地のすべての部族は彼のゆえに胸をたたいて悲しむ。しかり、アーメン。

その日、イエス様は栄光の雲とともに来られます。

地上に残されていた人々は、みな、それを見ることになります。

イエス様は、今、すでに「天においても地においても、すべての権威を持って」おられます。

しかし「地上の王たちの支配者」として、完全に明らかにされるのは「再臨後」のことです。

それは「千年王国」において実現します。

ヨハネは、おそらく「過去」「現在」「未来」の主イエスについて言及しているのではないかと思います。

「確かな証人」として地上を歩かれた方は、十字架で死なれ「死者の中から最初に生まれた方」として、今、おられます。そして、「地上の王たちの支配者」として後に来られる方なのです。

そして、これらすべてのこと、私たちの目から見て「後に起こること」もすべて、すでに成し遂げられたことであるということです。

私たちは、今、終りの時代を生きています。

Ⅱテサロニケ2:7
不法の秘密はすでに働いています。ただし、秘密であるのは、今引き留めている者が取り除かれる時までのことです。

「今引き留めている者」が何であるか気になるところでしょうが、私たちが、まず注目しなければならないのは「不法の秘密はすでに働いている」ということです。

敵は、2000年以上前から画策しているのです。いえ、もっと前から、ずっと画策し続けているのです。

「不法の人」が現れるお膳立ては着々と進んでいます。

世の中が、何やらおかしなことになっていることは、もう誰の目にも明らかです。

「不法の秘密」が、徐々に姿を現し始めているのではと思えます。

この先「疫病」は絶えることはないだろうと思います。一つ収束したら、また別の疫病が必ず流行るでしょう。

それが、人為的なものかどうか、私には分かりません。ただ「不法の人」が現れるために必要なものは整えられるだろうと思うのです。もちろん、これは個人的な意見です。

人々の愛は冷えます。その代わり、偽りの愛が横行するでしょう。そして、聖徒もそれに騙されます。

反キリストの霊は働いています。人々の背後で動いています。世界の人々は、反キリストの霊に導かれて、多くのことを画策することになります。すでに画策されていると思います。

それが、最終的にはハルマゲドンに導かれていくことになるのです。

愛する兄弟姉妹。

私たちは目を覚ましていましょう。

ある人は言います。

「どうせ携挙されるのだ。大患難の時には教会は地上にはいない。黙示録を真剣に学ぶ必要はない」と。

もし、あなたがそのように考えているのならば、「反キリストの霊」に惑わされることになるでしょう。

マルコ13:22
偽キリストたち、偽預言者たちが現れて、できれば選ばれた者たちを惑わそうと、しるしや不思議を行います。あなたがたは、気をつけていなさい。わたしは、すべてのことを前もって話しました。

「不法の秘密」は、もうすでに働いています。それは大患難の時だけ働いているのではないのです。

今、すでに「選ばれた者たちを惑わそうと」働いているのです。

覚えてください。

偽預言者は、さも「偽者です」というふうには現れません。人々は、イエス様を「悪霊につかれている」と言ったのです。

しるしや不思議を、すべて信じてはいけません。しかし、また逆も同じなのです。しるしや不思議のすべてが「怪しい」わけではありません。

「預言」をすべて受け入れてはいけません。しかし、また「本当の預言」があることも事実です。

「では、どうすればいいのですか?」と、あなたは思うでしょう。思って欲しいのです。

どうか「自分で」御言葉を読んでください。

常にしつこいぐらい言っていますが、自分で「調べる」ことが重要なのです。

ダニエル11:32
彼は、契約に対して不誠実にふるまう者を巧言をもって堕落させるが、自分の神を知る人たちは堅く立って事を行う。

反キリストは「巧言をもって」つまり「いい感じのことを言って」、人々を堕落させるのです。

しかし「契約」つまり「神のことば」に誠実であれば騙されません。

神を「自分の神」として知る人は堅く立てます。

詩篇2:4
天の御座に着いておられる方は笑い 主はその者どもを嘲られる。

国々は騒ぎ立ちます。国民は空しいことを企みます。地の王たちは、主に立ち向かうために集まります。

しかし「天の御座に着いておられる方は笑い 主はその者どもを嘲られ」ます。

目を上にあげ、主の御座を仰ぎます。

私たちは揺り動かされません。

地上で反キリストの霊が何を画策しようと、私たちは怯えて立ち止まる必要はありません。

「不法の秘密」は働いています。

しかし、主はその企みをすべて知っておられます。そして「嘲笑って」おられます。

私たちの主は、なんと大きく恐れ多く、そして頼もしい方でしょうか。

この主を、自分の神と呼べる幸いに感謝します。

私たちは、堅く立てます。主が私たちの神であられるので、私たちは決して倒れることはありません。

全能者がこう言われます

黙示録1:8
神である主、今おられ、昔おられ、やがて来られる方、全能者がこう言われる。「わたしはアルファでありオメガである。」

黙示録の初めに、主がこのように宣言してくださることを覚えましょう。

これから起こる、すべてのことは「全能者」である方の御手にあるのです。

「アルファでありオメガである」とはヘブル語だと「アレフからタウまで」です。英語だと「AからZまで」で、日本語だと「アからンまで」ということです。

つまり歴史における「筋書き」のすべてを、主が把握しておられるということです。

「初めに天と地を造られた」ときから「新しい天と新しい地」に至るまでのストーリーは、すでに定められているのです。

イエス様は言われました。

ルカ24:44
そしてイエスは言われた。「わたしがまだあなたがたと一緒にいたころ、あなたがたに話したことばはこうです。わたしについて、モーセの律法と預言者たちの書と詩篇に書いてあることは、すべて成就しなければなりません。」

旧約聖書に記されている「イエス様についてのこと」は、すべて成就するのです。

さあ、聖書を調べましょう。

そこに記されている「イエス様についてのこと」を調べてみてください。

それらのすべてが「成就」します。

黙示録1:5b~6
私たちを愛し、その血によって私たちを罪から解き放ち、また、ご自分の父である神のために、私たちを王国とし、祭司としてくださった方に、栄光と力が世々限りなくあるように。アーメン。

イエス様は、私たちを愛してくださいました。その血によって罪から解き放ってくださいました。

それは、もうすでに成就したことです。

私たちは、主の愛を疑うことはできません。その血潮を無駄にすることはできません。罪から解き放たれたのです。解き放たれた者として歩まねばなりません。

私たちは「祭司の王国」の一員です。

天の御国では、みなが「祭司」なのです。そうでなければならないのです。

黙示録21:22
私は、この都の中に神殿を見なかった。全能の神である主と子羊が、都の神殿だからである。

黙示録22:3~4a
もはや、のろわれるものは何もない。神と子羊の御座が都の中にあり、神のしもべたちは神に仕え、御顔を仰ぎ見る。

新しい都では「全能の神である主と子羊が、都の神殿」です。

祭司でなければ「神殿」「神の聖所」で仕えることはできません。ゆえに、新しい都においては、すべての人が「祭司」なのです。

私たちは、すでに「祭司の王国」の一員です。王である祭司です。

この地においても「御顔を仰ぎ見る」ことができるのです。主を礼拝し、主に仕えることができるのです。

この素晴らしいことのいっさいを、イエス様は成し遂げてくださいました。

そのことを思うとき、使徒ヨハネと同じように主の栄光を賛美せずにはいられません。

黙示録1:6
また、ご自分の父である神のために、私たちを王国とし、祭司としてくださった方に、栄光と力が世々限りなくあるように。アーメン。

私は、私を献げて生きます

一つの証を紹介します。

今日、私たちは皆、リバイバルの必要性を意識しているのではないでしょうか。

リバイバルについて研究したことがあるなら、すべてのリバイバルの中で「フォン・ツィン・ツィンツェンドルフ伯爵」に導かれたモラビア兄弟団で起きたことが、最も純粋だったことを知るでしょう。

祝されたディボーションのために ジョセフ・S・キャロル著 いのちのことば社

このモラビア兄弟団を導いた「フォン・ツィン・ツィンツェンドルフ伯爵」の話です。

ある日、伯爵はドイツで画廊を訪れました。

多くの素晴らしい絵画がありましたが、伯爵の目は一枚の絵に釘付けになりました。

彼は、何時間も何時間も、その絵の前に立っていました。

閉館の時間が来ても、まだその場を動かないので、とうとう管理人が彼に近づき、もう閉館の時間であることを告げようとしました。

管理人は彼の肩に手をかけました。しかし、言葉は飲み込んでしまいました。なぜなら、その時、若い伯爵の頬に涙が伝っているのが見えたからです。

伯爵の前には、ほふられた小羊の素晴らしい絵があり、その下には次の言葉が書かれていました。

「この一切をわたしはあなたのためにした。あなたはわたしのために何をしたか」

この、十字架にかけられたキリストの絵の前で、聖霊が語ったのです。

そして「ニコラス・フォン・ツィン・ツィンツェンドルフ」は、その日、心砕かれたのです。

祝されたディボーションのために ジョセフ・S・キャロル著 いのちのことば社

イエス様は、あなたのために一切を成してくださいました。

黙示録1:5b~6
私たちを愛し、その血によって私たちを罪から解き放ち、また、ご自分の父である神のために、私たちを王国とし、祭司としてくださった方に、栄光と力が世々限りなくあるように。アーメン。

これら一切を、あなたのために成してくださった方が、今、招いておられます。

「この一切をわたしはあなたのためにした。あなたはわたしのために何をしたか」

私は、砕かれた心を持って御前に行きます。

そして「もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きます」と言います。

主に栄光と力が世々限りなくありますように。

祝福を祈ります。